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2021年10月27日水曜日

第34回資本論の学習 第1篇商品と貨幣

第34回資本論の学習

第1篇商品と貨幣
この共通なものは、商品の幾何学的、物理学的、化学的、またはその他の自然的属性ではありえない。そもそも商品の物体的諸属性が問題になるのは、ただ、それらが商品を有用なものにし、したがって使用価値にする限りでのことである。

ところが、他方、諸商品の交換関係を明白に特徴づけるものは、まさに諸商品の使用価値の捨象である。この交換関係の内部では、一つの使用価値は――それが適当な比率で存在していさえすれば他のどの使用価値ともまったく同じものとして通用する。

あるいは、老バーボンが言うように、

「一つの種類の商品は、その交換価値が 同じ大きさならば、他の種類の商品と同じである。同じ大きさの交換価値をもつ諸物のあいだには、いかなる相違も区別も実存しない」。
使用価値としては、諸商品は、なによりもまず、相異なる質であるが、交換価値としては、相異なる量でしかありえず、したがって、一原子の使用価値も含まない。

(八)「一つの種類の商品は、その交換価値が 同じ大きさならば、他の種類の商品と同じである。同じ大きさの交換価値をもつ諸物のあいだには、いかなる相違も区別も実存しない。 :100ポンド・スターリング
の価値がある鉛または鉄は、100ポンド・スターリングの価値がある銀および金と同じ大きさの価値をもっ」(N・バーボン、前出、五三ページ、七ページ 〔最初と最後の文は五三ページ、中間の文は七ページから引用されている)。

そこで、諸商品体の使用価値を度外視すれば、諸商品体にまだ残っているのは、一つの属性、すなわち労働生産物という属性だけである。しかし、労働生産物もまたすでにわれわれの手で変えられている。

もしもわれわれが労働生産物の使用価値を捨象するならば、われわれは、労働生産物を使用価
値にしている物体的諸成分と諸形態をも捨象しているのである。それはもはや、テーブル、家、糸、あるいはその他の有用物ではない。その感性的性状はすべて消し去られている。

それはまた、もはや、指物労働、建築労働、紡績労働、あるいはその他の一定の生産的労働の生産物ではない。労働生産物の有用的性格とともに、労働生産物に表わされている労働の有用的性格も消えうせ、したがってまたこれらの労働のさまざまな具体的形態も消えうせ、これらの労働は、もはや、互いに区別がなくなり、すべてことごとく、同じ人間的労働、すなわち抽象的人間的労働に還元されている。

そこで、これらの労働生産物に残っているものを考察しよう。それらに残っているものは、同じまぼろしのような対象性以外のなにものでもなく、区別のない人間的労働の、すなわちその支出の形態にはかかわりのない人間的労働力の支出の、単なる凝固体以外のなにものでもない。

これらの物が表わしているのは、もはやただ、それらの生産に人間的労働力が支出されており、人間的労働が堆積されているということだけである。それらに共通な、この社会的実体の結晶として、これらの物は、価値―商品価値である。
(53) 諸商品の交換関係そのものにおいては、それらの物の交換価値は、それらの物の諸使用価値とはまったくかかわりのないものとして、われわれの前に現われた。そこで、労働諸生産物の使用価値を現実に捨象すれば、いままさに規定されたとおりのそれらの価値が得られる。

したがって、商品の交換関係または交換価値のうちにみずからを表わしている共通物とは、商品の価値である。研究の進行は、価値の必然的な表現様式または現象形態としての交換価値に我々を連れ戻すであろうが、やはり、価値は、さしあたり、この形態から独立に考察されなければならない‥66ページ2行目まで

2021年10月25日月曜日

第33回 資本論の学習 第1篇 商品と貨幣 第1章 第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値(価値の実体 価値の大きさ)p621行目~63末まで

 第33回 資本論の学習 第1篇 商品と貨幣 第1章 第1節 商品の2つの要因ー使用価値と価値(価値の実体 価値の大きさ)p621行目~63末まで


それは、時と所とともに絶えず変動する関係である。それゆえ、交換価値(51)

は、なにか偶然的なもの、純粋に相対的なもののように見え、したがって、商品に内的な、内在的な、交換価値(固有価値)というものは、一つの形容矛盾"に見える。事態を、もっと詳しく考察してみよう。


(六)「価値とは、ある物と他の物とのあいだに、ある生産物の一定量と他の生産物の一定量とのあいだに、成立する交換関係である」(ル・トローヌ『社会的利益について』、[所収】デール編『重農主義学派』、パリ、一八四六年、八八九ページ)。


(七)「どんな物も内的な交換価値というものをもつことはできない」(N・バーボン、前出、六ページ)。あるいは、バトラーが言っているように、

「ある物の価値は、ちょうどそれがもたらすであろうだけのものである」。


*1 [「丸い三角形」のように、そのものの概念に矛盾する形容詞がつくこと]


*2 [一七世紀イギリスの諷刺詩人サミュエル・バトラーの詩『ヒューディブラス』、第二部、第一歌、四六五ー四六六行の言い換え]


ある特定の商品、たとえば一クォーターの小麦は、x量の靴墨、y量の絹、z量の金などと、要するにきわめてさまざまな比率で他の諸商品と交換される。


だから、小麦は、ただ一つの交換価値をもっているのではなく、いろいろな交換価値をもっている。


しかし、x量の靴墨もy量の絹もz量の金なども、どれも一クォーターの小麦の交換価値であるから、x量の靴、y量の絹、z量の金などは、互いに置き換えうる、または互いに等しい大きさの、諸交換価値でなければならない。


それゆえ、こういうことになる。第一に、同じ商品の妥当な諸交換価値は一つの等しいものを表現する。


しかし、第二に、交換価値は、一般にただ、それとは 区別されうる ある内実の表現様式、「現象形態」でしかありえない。


* 〔イギリスの体積単位。一クォーターは八英ブッシェル。約二九二リットルにあたる]


さらに、二つの商品、たとえば小麦と鉄とをとってみよう。それらのものの交換比率がどうであろうとも、この比率は、つねに、ある与えられた分量の小麦がどれだけかの分量の鉄に等置される一つの等式、たとえば、1クオータの小麦=aツエントナーの鉄によつて表される。Iこの等式はなにを意味するか? 同じ大きさの一つの共通物が、二つの異なった物のなかに、すなわち一クォーターの小麦のなかにもaツェントナーの鉄のなかにも、実存するということである。


したがって、両者は、それ自体としては一方でもなければ他方でもないある第三のものに等しい。したがって、両者はどちらも、それが交換価値である限り、この第三のものに還元されうるものでなければならない。


* [ドイツの質量単位。一ツェントナーは五Oキログラム]

簡単な幾何学上の一例がこのことを明らかにするであろう。およそ直線形の面積をはかり、比較するためには、それをいくつかの三角形に分解する。


三角形そのものは、その目に見える形とはまったく異なる表現―底辺×高さ÷2 ーに還元される。これと同じように、諸商品の諸交換価値もある共通物に還元されて、諸交換価値は、この共通物の多量または少量を表わすことになる。




2021年10月24日日曜日

第32回 資本論の学習 第1章 商品 第1篇 商品と貨幣

 第32回 資本論の学習 第1章 商品 第1篇 商品と貨幣

前回から時間が経過しているので、新日本版で、はじめから出直します。ほとんどが引用となります。注意書きで詳しく解説されていることもあるので、学習のためには参考になるでしょう。



資本論 カール・マルクス  新日本出版社




第一篇商品と貨幣

第一章商品

第一節商品の二つの要因

-使用価値と価値(価値の実体、価値の大きさ)


資本主義的生産様式が 支配している 諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」(1)として現われ、個々の商品はその富の要素形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。


(1) カール・マルクス『経済学批判』、ベルリン、一八五九年、三ページ[邦訳『全集』、第一三巻、一三ページ】。


商品は、なによりもまず、その諸属性によってなんらかの種類の人間的欲求を満たす一つの物、一つの外的対象、である。これらの欲求の性質、すなわち欲求がたとえば胃袋から生じるか想像から生じるかということは、事態をなんら変えない。ここではまた、どのようにして物が人間的欲求を満たすか―直接に生活手段として、すなわち享受の対象としてか、それとも、回り道をして、生産手段としてか――ということも問題ではない。



(Ⅱ)「願望は欲求を含む。それは精神の食欲であり、肉体にとって空腹が自然的であるように、自然的である。

大多数(の物)は、精神の欲求を 満たす ところから、その価値をもつのである」(ニコラス・バーボン

『新貨幣をより軽く鋳造することに関する一論。ロック氏の諸考察に答えて』、ロンドン、一六九六年、二、三ページ)。


鉄、紙などのような有用物は、どれも、二重の観点から、質および量の観点から、考察されなければならない。このような物はどれも、多くの属性からなる一つの全体であり、それゆえ、さまざまなの面で有用でありうる。これらのさまざまな面と、それゆえ物のいろいろな使用の仕方とを発見することは、歴史的な行為である。有用物の量をはかる社会的尺度をみつけ出すこともそうである。諸商品尺度の相違は、一部は、はかられる対象の性質の相違から生じ、一部は、慣習から生じる。


(三)「諸物は一つの内的な値打ち」(これはバーボンにあっては使用価値を表わす独自な表現である)「をもっている。すなわち、諸物はあらゆる場所で同じ値打ちをもっている。たとえば、磁石が鉄を引きつけるというようにである」(バーボン、前出、六ページ)。鉄を引きつけるという磁石の属性は、それを通して磁石の両極性が発見されたとき、はじめて有用になった。

(四)

ある物の有用性は、その物を使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮かんでいるのではない。この有用性は、商品体の諸属性によって制約されており、商品体なしには実存しない。それゆえ、鉄、小麦、ダイヤモンドなどのような商品体そのものが、使用価値または財である。商品体のこの性格は、その使用上の諸属性を取得するために人間が多くの労働を費やすか、少しの労働を費やすかにはかかわりがない。使用価値の考察にさいしては、一ダースの時計、一ェレのリンネル、一トンの鉄などのようなその量的規定性がつねに前提されている。諸商品の諸使用価値は、一つの独自な学科である商品学の材料を提供する(五)。使用価値は、使用または消費においてのみ、実現される。使用価値は、富の社会的形態がどのようなものであろうと、富の素材的内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態においては、それは同時に交換価値の素材的担い手をなしている。



(四)「どんな物の自然的·値打ち,も、人間生活の必要を満たしたり便宜に役立ったりするその適性にある」

(ジョン・ロック「利子引き下げ[……]の諸結果にかんする若干の考察』、一六九一年、所収『著作集』、ロンドン、一七七七年版、第二巻、二八ページ [田中正司・竹本洋訳『利子・貨幣論』、東京大学出版会、六四ページ)。 一七世紀においても、イギリスの著述家たちのあいだで、使用価値として Worth が、交換価値として Value が用いられているのを しばしば見受けるが、これは、直接的な物をゲルマン語で、反省された物をロマンス語で、表現することを好む国語の精神にまったく一致している。


(五) ブルジョア社会では、各人は 商品の買い手として百科全書的な 商品知識をもっているという“擬制」が支配的に行なわれている。


*1 〔長さの古い単位。地域によって異なりプロイセンでは六六.六九センチメートル】

#2 [ラテン語から派生した言語で、イタリア語、スペイン語、フランス語など]


交換価値は、さしあたり、一つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち比率として現れる p621行目



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