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2021年7月5日月曜日

第29回『資本論』の学習 序文 P36 1行目~ 415行目

 第29回『資本論』の学習 序文 P36 1行目~ 415行目



この増大は少しも、労働する人々の状態にはかかわりありません。私が描いた、そしてそれを正確な報告に基づいていると信じているこの増大は、全く所有階級に限られております。」(That is the state of the case as regards the wealth of this country. I must say for one, I should look almost with apprehension and with pain upon this

intoxicating augmentation of wealth and power, if it were my belief that it was confined to classes who are in

easy circumstances. This takes no cognizance at all of the condition of the labouring population. The augmenta-tion I have described and which is founded, I think, upon accurate returns, is an augmentation entirely confined

to classes of property.“)


かくして、グラッドストーンはここではこういっている。もしそういう風であるとすれば、自分にとって遺憾である。しかし、その通りである。すなわち、この目を奪うような権力と富の増大は、全く所有階級にかぎられている。そしてこの半官的なハンサードについていえば、マルクスはさらにこう述べている。「ここに後から拙劣にまとめ上げたハンサードの版では、グラッドストーン氏は、いうまでなくイギリスの大蔵大臣の言葉として、困るような個所を誤魔化すほどに、分別のある人であった。むろんこのことは伝来のイギリスの議会の習慣であって、決してベーベルに対するラスケル君の発明なのではなかった」と。

かの匿名君はますます憤激する。彼の回答『コンコルディア』の七月四日号では、二流の資料を傍に押しやりながら、彼は、はじらいつつ、こういうことをほのめかす。すなわち、議会演説を速記録によって引用するのが「慣習」である。しかし『タイムズ』の報道(その中に「偽作して付け加えられた」文句がある)とハンサードのそれ(その中にはか

の文句はない)は、「実質的には完全に一致している」。そして同じく『タイムズ』の報道ち、「創立の辞のかの悪評の個所と正反対のこと」を含んでいると。この場合、この匿名君は用心深く、この報道がこのうわべで「正反対のこと」


とともに、まさに「かの悪評の個所」を明らかに含んでいることについては、黙っている! いろいろとやってはみるが、匿名君は、彼の動きのとれなくなっていること、そして新しい道辞よりほかに彼を救うもののないことを感じている。したがって、彼はいままさに立証されたその「厚顔な虚偽」にふくらんでいる論文に、教訓にみちた罵声をまぜこむ。例えばこんな風に、「悪意」「不正直」「偽作の報道」「かの偽作引用」「厚顔なる虚偽」「全く偽造された引用」「このような偽作」「全く恥ずべき」等々。こういう風に出るとともに、他方、彼は、争点を他の領域にうつすことを必要と考える。そこで、「第二の論文で、われわれ(この偽りをいわない匿名君)はグラッドストーンの言葉の内容に、どんな意味を読みとるべきかを論ずる」と約束する。彼のきめてにもならぬ意見が、何か事柄そのものを、少し

でも左右するかのように! この第二の論文は『コンコルディア』の七月一一日号に載っている。

 

 マルクスはいま一度『人民国家』八月七日号でこれに回答した。今度は問題の個所の報道を『モーニング・スタI』と『モーニング・アドヴァタイザー』の一八六三年四月一七日号からとって来たのであった。 この両者によればグラッドストーンは、こう述べている。自分は心を痛め…ながら、この目を奪うような富と権力の増大を眺めるであろう。おしそれが現実に富裕なる諸階級(classes in easy circumstances) に限られていると考えれば。しかして、この増大は財産をやっている諸階級に限られている (entirely confined to classes possessed of property)と。だから、この報道めいわゆる「偽作して付け加えられた」文句を言葉どおりに示している。さらに彼は、いま一度『タイムズ』とハンサードの原文を比較して、こう確証している、すなわち、すぐ次の朝発行された三つの、相互に独立し同文に

なっている新聞報道によって、実際に語られたことが確認された文句は、人のよく知る「慣習」によって校訂されたハンサードの報道に載っていないということ、グラッドストーンはマルクスの文章にあるこの文句を「後ですばやく盗み去った」ということである。そしてマルクスは最後に、自分はこの匿名君とこれ以上やりとりする暇がないということを宣言している。(p38 1行目まで)


 この匿名君も、こで満足したと見えて、少なくともマルクスは『コンコルディア』のその

版後の諸号を受け取らなかった。これをるって事件は死滅し、埋葬されたように見えた。むろん、その後一両度はケンブリッジ大学に関係ある人々から、マルクスが『資本論』の中で犯したという言うに耐えない文献的犯罪について、ひそやかな噂がわれわれに伝わってきた。しかしながら、いろいろと調査されたにもかかわらず、よりはっきりしたことは全然きかれなかった。そのとき、一八八三年一一月二九日、マルクスの死後八ヶ月になったとき、『タイムズ』に一つの書簡があらわれた。ケンブリッジのトゥリニティ・カレッジ発信になっていた。そしてセドリ・テイラーと署名されていた。この書簡の中で、思いがけない機会に、この馴合いの共同行為に出る人物が、ケンブリッジの耳語にかんしてだけでなく、『コンルディア』の匿名君についても、ついにわれわれに説明を与えてくれた。


 トゥリニティ・カレッジの人物はこういっている。「きわめて奇妙に思われるのは、明白にグラッドストーンの演説からの引用を(創立の)辞の中に口授した悪意の暴露を、…ブ レンターノ教授(当時ブレスラウ、現にシュトラスブルク)のほかに誰やらなかったということである。この引用を弁護しようとした……カール・マルクス氏は、ブレンターノのたくみに行なった攻撃が、彼を急速におしつめていった断末魔で、厚かましくもこう主張した。すなわち、グラッドストーン氏は一八六三年四月一七日付『タイムズ』の彼の演説の報道に、それがハンサードに表われる前に拙い手細工を加えた。もちろんイギリスの一大蔵大臣にとって困る個所を不手際に取り除くためであるというのである。ブレンター ノが詳細にわたる原文の比較によって、『タイムズ』の報道とハンサードのそれは、狡猾に脈絡を切り離した引用でグラッドストーンの文句に押し込まれた意味を一切取り除けば、一致するものであることを立証したとき、マルクスは、暇がないという口実で退却した!」

 

すなわち、これがお化けの正体であった! そして「コンコルディア』におけるブレンターノ氏の匿名の征戦は、ケンブリッジの生産共同組合的幻想に、このように輝かしく反映したのであった! 彼はこのようにうまく陣をしき、そして彼は「たくみに行なった攻撃」で、このように見事にその剣をふりまわした、このドイツ工場主連盟の聖ジョージは。すると悪竜のマルクスは、彼の足もとで「たちまちのたうちまわって」息絶える!だが、このアリオスト的戦闘描写は、全部、わが聖ジョージの遁辞を蔽うのに役立つにすぎない。ここではちはや

「偽作して付け加えること」や「偽造」については問題でなくなって、「狡猾に脈絡を切り離した引用」(craftily iso-lated quotation) が問題となっている。問題全体がすりかえられてしまった。そして聖ジョージとそのケンブリッジの小姓とは、なぜそうなったかをきわめて正確に知った。


 "エリナ・マルクスは、『タイムズ』が掲載を断わったので、一八八四年二月の月刊誌『現代』で答えた。そこで彼女は、論争を問題となっている次の一点に帰着せしめた。すなわち、マルクスはその文句を「偽作して付け加えた」かどうか? ということである。これに対して、セドリ・テイラー氏はこう答えた。「一定の文句がグラッドストーン氏の演説中にあったかどうかという問題は」、自分の見解によれば、マルクスとブレンターノとの間の論戦においては、「この引用がグラッドストーンの真意を再現する意図であったか歪める意図であったかの問題に比較すると、きわめて副次的な重要さのものである」。次いで、彼は『タイムズ』の報道が「実際に文句の中に一つの矛盾を含んでいる」ということを肯定する。だが、だが、その他の関連は、自由主義的 = グラッドストーン的意義において解明すれば正しく、それはグラッドストーン氏が言おうとしたことを示していると(『現代』一八八四年三月)。このさいもっとも奇異に感じられるのは、ケンブリッジのわが小人が、いまや、演説を匿名ブ レンターノによれば「慣習」であるというハンサードによって引用しないで、この同じプ レンターノによって、「必然的に拙い細工」と言われる『タイムズ』



の報道によることを固執するということである。運命的な文句はむろんハンサードには載っていないのである!

 エリーナ・マルクスにとっては、『現代』の同じ号で、この議論のたわいもなさを示すのには骨は折れなかった。テイラー氏が一八七二年の論争を読んでいたとすれば、彼はいまや「偽作」したということになる。ただに「付け加えて」偽作しただけでなく、「はぶき去って」偽作したのだ。あるいは彼は論争を読まなかったのかもしれない。そうだとすれば、彼はだまっている義務があった。いずれにしても、彼がマルクスは「偽作して付け加えた」という彼の友人ブレンターノの訴えをば、一瞬といえども支持することをなしえなかったということは、確定的となった。ところが反対に、マルクスはいまや偽作して付け加えたのではなく、重要な文句をかくしてしまったというのである。しかし、この同じ文句は創立の辞の五ページに、「偽作して付け加えた」といわれる文句の数行前に引用してある。そしてグラッドストーンの演説中の「矛盾」についていえば、『資本論』六一八ページ (第三版六七二ページ)注一〇五[ディーツ版、六八二ページ。向坂訳、八一九一八二〇ページで「一八六三年と一八六四年のグラッドストーンの予算演説中にひっきりなしにあるまぎれもない矛盾」について述べているのは、ほかならぬマルクスではないか!ただ彼はセドリ・テイラー風に、これを自由主義的の快い結末に解消しようと企てないだけである。こうして、E・マルクスの回答中の結論は、要約してこういっている、「逆だ。マルクスは何か引用に値するものを包みかくしるしなければ僅かのことでや偽作して付け加えるようなことをしたのでもなかった。しかし彼は、グラッドストーンの演説の一句で、疑いもなく語られたのではあるが、どういうわけかーハンサードから何処かに出て行ってしまったのを、再編し、忘却を免れしめたのである」と。

 セドリ・テイラー氏も、こうしてこれで満足した。二〇年かかって二大国の間に続けられた大学教授的全紛争の結末は、こうであった。すなわち、もはや人はマルクスの文献上の良心に触れることをあえてしなかったこと、しかしてそれ以後、セドリ・テイラー氏は、おそらくブレンダーノ氏の文献的争開記事に、ブレンタノ氏は同様にハンサードの教皇的不過誤性に、信を置かないであろうということ、これである。


                ロンドンにて

                一八九〇年六月二五日

                  F・エンゲルス









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