第28回 「資本論」の学習 序文 第4班2 34ページ1行目から
* この版では、弓カッコに入れ、F・Eという印を附してある。 -ディーツ版編集者。
かれこれする内に、英語版を刊行しようとすると、多数の引用文を完全に改訂するということが必要となった。この英語版には、マルクスの末娘であるエリナが、引用された個所全部を原本と比較する仕事を引き受けてくれた。
だから、イギリスの資料によるきわめて多い引用文を、英語版ではドイツ語から逆に翻訳するということをせずに英語の原文そのものを出すということになった。したがって、この原歳を第四版で参考にするということが、私の責務となった。そのばあい、時としてすこし不正確な個所が見出された。参照ジが間違えてあった。あるいは帳面から写す時に書き間違えた場合もあり、あるいは三つの版の間にかさなった誤植もあった。引用符を間違ってつたり、脱落があったりした。これは抜萃帳からたくさん引用するばあいに避けがたいことである。そこここに少数ではあるが、不適当な訳語があった。いくつかの個所は、ふるいパリ時代の帳面(一八四三―四五年)から引用されている。かの地ではマルクスはな希英語を解せず、イギリスの経済学書をフランス語訳で読んだ。そのために、このばあい重
訳になっていて、語調に軽い変化がある。例えばステュアート、ユア等のばあいである。――これらのばあいには、いまなら英語の原文を利用したはずである。そしてそのほかに、これに類する多少の不正確さや粗漏がある。いま第四版をそれ以前の版と比較すると、この巻でこのような厄介な訂正をしたのではあったが、すこしも目立った変更はなされていないと確信する。ただ一つの引用文だけは発見できなかった。それはリチャード・ジョーンズからの引用である(第四版、五六二ページ、注四七〔ディーツ版、六二五ページ。向坂訳、七五○|七五一ページ])。 マルクスは、おそらくこの書の表題を書きちがえているのであろう。他の一切の引用文は完全なる立証力をもっているか、あるいは立証力を現在の正確な形で強めている。
しかし、ここで私は一つの旧い物語に帰らなければならない。
すなわち、私はマルクスの引用の正しさが疑われたただ一つのばあいを知っている。しかしながら、この件はマルクスの死後まで作用を及ぼしたのであるから、ここでこのことに触れないですますわけにはいかない。
ドイツの工場主連盟の機関誌であるベルリンの『コンコルディア』の一八七二年三月七日号に、「マルクスはいかに引用しているか」という匿名の論文があらわれた。この論文で、道徳的憤激と非儀礼的表現をあふれるほどに注いで、一八六三年四月一六日のグラッドストーンの予算演説からの引用(一八六四年の国際労働者協会の創立の辞ディーツ版『全集』第一六巻、三ー一三ページ。新潮社版『選集』第九巻、一七三ページ]および繰り返して『資本論』第一巻、第四版六一七ページ、第三版六七〇一六七一ページ[ディーツ版、六八〇一六八一ページ。向坂訳、八一六一八一八ページ])が偽作だと主張された。「この目を奪うような富と権力の増大は……全く所有階級に限られております」という文章は、
一語といえどちハンサードの(半官的)速記録には載っていない。「しかして、この文章はグラッドストーンの演説のどこにもない。演説で言われているのは、まさにその反対のことである。(以下肉太の文字で) マルクスはこの文章を付け加えて、形式的に実質的にも偽作した!」
『コンコルディア』のこの号が、マルクスに次の五月に送られてきたので、彼はこの匿名者にたいして六月一日の『人民国家』紙上で答えた。彼は、どの新聞報道によって引用したかを思い出せなかったので、同じ意味の引用文をまず二種のイギリスの刊行物中から証明し、ついで『タイムズ』の報道を引用することにとどめた。これによればグラッドストーンはこう述べている。「この国の富にかんしていえば、事情はこうなっております。私は私自身としては、こう申し述べなければなりません。この目を奪うような富と権力の増大は、現実に富裕なる階級にのみ限られていると信ずるのでありますが、これにたいして、私は、心痛と苦悩ともいうべきものをもって見なければなりません。p361行目
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