📖『資本論』再学習 第31回
第1巻 第1冊 資本生産過程
第3篇 絶対的剰余価値の生産
第8章 労働日
第6節 標準労働日のための闘争
― 労働時間の強制法による制限(1833年~1864年のイギリス工場立法)
この節では、マルクスは**「労働時間を制限する法律は、資本家が自発的に認
めたものではなく、労働者の長年の闘争によって勝ち取られた成果である」**ことを詳しく
説明しています。
① なぜ工場法が必要だったのか
産業革命によって工場が急速に増えました。
しかし資本家は利益を増やすため、
- 1日14~16時間労働
- 子どもや女性まで深夜労働
- 休憩もほとんどなし
という過酷な労働を強制しました。
その結果、
- 病気
- 過労死
- 子どもの成長障害
- 家庭生活の崩壊
が社会問題となります。
マルクスは
「資本は労働力を限界まで使い切ろうとする」
と述べています。
② 1833年工場法
これは最初の本格的な工場法です。
内容
✅ 9歳未満の児童労働禁止
✅ 9~13歳は1日8時間まで
✅ 13~18歳は12時間まで
✅ 工場監督官を設置
ここで重要なのは、
初めて国が工場を監督するようになったことです。
つまり、
資本家任せでは労働者を守れないことを政府自身が認めたのです。
③ 資本家は法律を守らなかった
ところが、
資本家は様々な抜け道を考えました。
例えば
- 労働時間をごまかす
- 年齢を偽る
- 食事時間も労働時間にする
- 夜勤を隠す
などです。
つまり、
法律ができても利益追求は止まりませんでした。
④ 労働者はさらに闘争する
そこで労働者は
- ストライキ
- 請願
- 労働組合
などを通じて
さらに労働時間短縮を要求しました。
マルクスは、
法律は完成ではなく、
労働者が勝ち取った途中経過
と考えています。
⑤ 1844年工場法
さらに改正され、
女性労働も保護されます。
主な内容
✅ 女性は12時間まで
✅ 危険機械に安全装置
✅ 子どもの保護を強化
これによって
工場の危険事故も減少しました。
⑥ 1847年 十時間法
これは歴史的な法律です。
1日10時間労働
が認められました。
当初、
資本家は
「工場が潰れる」
「経済が終わる」
と猛烈に反対しました。
しかし実際には、
工業は発展を続けました。
マルクスはこれを
資本家の主張は誇張だった
と評価しています。
⑦ 1850年工場法
さらに
労働時間帯も固定されます。
例えば
午前6時~午後6時
など、
昼間だけ働く形へ近づきました。
夜間労働は大幅に制限されます。
⑧ 1864年頃まで
工場法は少しずつ
対象業種を広げました。
最初は
- 綿工場
だけでしたが、
その後
- 毛織物
- 印刷
- 製陶
- 染色
- 製紙
などへ拡大していきます。
つまり、
工場法は社会全体へ広がっていったのです。
⑨ マルクスが伝えたかったこと
この節で最も重要なのは、
標準労働日は資本家の善意では生まれなかった
ということです。
労働者が
- 団結し
- 闘争し
- 法律を作らせ
初めて実現しました。
国家も最終的には
資本家の自由放任では社会が成り立たないことを認めました。
⑩ 今日とのつながり
現在でも
- 1日8時間労働
- 残業規制
- 最低賃金
- 有給休暇
- 育児休業
- 労働安全衛生法
などは、
長年の労働運動や法整備の積み重ねによって成立しています。
マルクスは、こうした制度は自然に与えられたものではなく、労働者の権利を守
るための歴史的な成果であると考えました。
📝 この節のポイント(まとめ)
✅ 利益追求のため、資本家は長時間労働を続けようとした。
✅ 1833年工場法で児童労働の制限と工場監督制度が始まった。
✅ 資本家は法律の抜け道を利用し、規制を逃れようとした。
✅ 労働者の団結と闘争によって、1847年の十時間法など保護が強化された。
✅ 標準労働日は、労働者の闘争によって勝ち取られた歴史的成果であり、現代の
労働法の基礎となっている。

0 件のコメント:
コメントを投稿