変革の時代と『資本論』は18ページ(3)科学としての経済学の最高傑作『資本論』それが明らかにしたこと。となる予定です。

フリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels、1820年11月28日 - 1895年8月5日)は、 プロイセン王国の社会思想家、政治思想家、ジャーナリスト、実業家、共産主義者、軍事評論家、革命家、国際的な労働運動の指導者。
盟友であるカール・マルクスと協力して科学的社会主義の世界観を構築し、労働者階級の歴史的使命を明らかにした。マルクスを公私にわたり支え、世界の労働運動、革命運動、共産主義運動の発展に指導的な役割を果たした。(wikipediaより引用)
マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店 を 使用しています。
第5扁 絶対的剰余価値と相対的剰余価値の生産・・・・・・・・・・・・・・627
第14章 絶対的剰余価値と相対的剰余価値・・・・・・・・・・・・・・・・627
第15章 労働力の価格と剰余価値と量的変動・・・・・・・・・・・・・・・630
第1節 労働日の大いさと労働の強度とが不変で(与えられていて)労働の生産力が可変である場合・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・651
第3節 労働日と労働の生産力とが不変で、労働の強度が可変である場合・・656
第4節 労働の持続、生産力、強度、同時に変動する場合・・・・・・・・・・659
第16章城陽市立の種々の表式・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・664
第6扁 労働賃金・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・669
第17章 労働力の価値または価値の労働賃金への転化・・・・・・・・・・・669
第18章 時間賃金・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・679
第19章 出来高賃金・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 689
第20章 労働賃金の国民的差異・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・700
第7扁 資本の蓄積過程・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・707
第21章 単純再生産・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・709
第21章 剰余価値の資本への転化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・726
第1節 拡大された規模における資本主義的生産過程、商品生産の所有法則の
資本主義的に領有法則への転換・・・・・・・・・・・・・・・・・726
第3節 拡大された規模における再生産に関する経済学の謬見・・・・・・・737
謬見(びゅうけん)あやまり意見
第4節 資本と収入とへの剰余価値の分割比率から独立して、蓄積の大きさを規定する諸条 件、労働力の搾取度ー労働の生産力ー充用される資本と消費される資本との差額の 増大ー前貸資本の大きさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・751
第5節 いわゆる労働基金
まえがきに登場する人物 野田弘英
1941 年 3 月 25 日 福岡県大牟田市に生まれる 学 歴 1959 年 3 月 福岡県立三池高等学校卒業 1963 年 3 月 九州大学経済学部卒業 1965 年 3 月 九州大 学大学院経済学研究科修士課程修了(経済学修士) 1968 年 3 月 九州大 学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学 1984 年 2 月 九州大 学 経済学博士 主な職歴 1968 年 4 月 九州大学経済学部助手 1969 年 4 月 熊本商科大学(現,熊本学園大学)商学部専任講師 銀行論担当 1971 年10月 熊本商科大学助教授 1977 年 4 月 埼玉大学経済学部助教授 金融論担当 1986 年12月 埼玉大学教授 1993 年 4 月 埼玉大 学大学院経済科学研究科修士課程(新設)教授 金融論担当 1997 年 3 月 埼玉大 学退職 名誉教授 1997 年 4 月 東京経済大学経済学部教授 現代資本主義論担当 2001 年 4 月 経済学部改革委員会委員長(〜2004 年 3 月) 2002 年 4 月 経済学部長(〜2004 年 3 月) 2003 年11月 非常勤講師資格規定等検討委員会委員長(〜2004 年 3 月) 2011 年 3 月 東京経済大学定年退職 名誉教授
1.著書 単著 『金融資本の構造―『金融資本論』研究―』新評論,278 頁,1981 年 10 月 (博士学位論文) 共著・分担執筆 1.飯田裕康,鈴木芳徳,高山満,野田弘英 著『金融資本論入門』有斐閣,201 頁,1977 年 11 月,第 4 章「金融資本と自由競争の制限」,pp87 − 116 担当 2.鈴木芳徳編『金融論』ミネルヴァ書房,328 頁,1995 年 4 月,第 4 章「景気変動と金融 機構」,第 6 章「ビッグ・ビジネスの時代」,第 7 章「株式会社制度」,第 8 章「証券市場 と証券価格」,pp46 − 61,pp80 − 121 担当 2.論文 「金融政策の展開」,竹村脩一編『金融経済論』有斐閣,所収,1968年2月 「『金融資本論』の研究―「総カルテル」論の特質―」,九州大学『経済学研究』第 34 巻第 4 号,1968 年 10 月 「ヒルファディングの貨幣・信用理論」,熊本商科大学『熊本商大論集』第 31 号,1970 年 7 月(後に金融学会編『金融論選集』第 18 巻採録) 「ヒルファディングの金融資本理論の特質」,金融経済研究所『金融経済』127 号,1971 年 4 月 「中央銀行金融政策の形成過程」,『熊本商大論集』第 34 号,1971年9月 「ヒルファディングの擬制資本論(1)」,『熊本商大論集』第 36 号,1972年4月 「ヒルファディングの擬制資本論(2)」,『熊本商大論集』第 38 号,1973年4月 「「配当と創業利得」について」,『熊本商大論集』第 39 号,1973年6月 野田弘英教授年譜ならびに主要業績目録 ― 6 ― 「ヒルファーディングとレーニン」,経済学史学会西南部会編『経済学史研究』ミネルヴァ書 房,所収,1973 年 10 月 「金融資本概念に関する一考察」,熊本商科大学『海外事情研究』第 3 巻第 1 号,1975 年 3 月 「金融資本と銀行制度」,高木暢哉編『銀行論』有斐閣,所収,1975年5月 「独占形成と株式会社(上)」,『熊本商大論集』第 46 号,1975年9月 「独占形成と株式会社(中)」,『熊本商大論集』第 49 号,1976年7月 「独占形成と株式会社(下)」,埼玉大学『社会科学論集』第 41 号,1978年3月 「ヒルファディング『金融資本論』の理論的特質」,高木暢哉編『経済学史の方法と問題』ミ ネルヴァ書房,所収,1978年4月 「現代の金融政策」,竹村脩一・玉野井昌夫編『金融経済論<新版>』有斐閣,所収,1978 年 5 月 「資本信用に関する一考察」,『社会科学論集』第 43 号,1979年3月 「通貨と信用」,『社会科学論集』第 45 号,1980年3月 「『金融資本論』における通貨と信用」,高木暢哉編『現代の貨幣・金融』ミネルヴァ書房, 所収,1980年6月 「鋳貨と銀行券」,『社会科学論集』第 46 号,1980 年 12 月 「銀行制度と株式会社」,『社会科学論集』第 47 号,1981年3月 「「金本位制復帰論」の背景を探る(上)IMF 体制下における金とドルの関係」, 『世界経済評論』第 26 巻第 5 号,1982年5月 「独占化と銀行支配−『金融資本論』の構成との関連−」,『社会科学論集』第 51 号,1983 年
(都合により省略しています)
マルクス経済学事典 宮川実 青木書店
価値尺度(独 Mass der Werte
Ⅰ)貨幣商品は、金魚や小麦や小鳥や綿布や鋸や鉄や機械など全ての商品にその価値を表すための材料を提供する。これが価値尺度たる機能(働き)である。全ての商品の価値は一定量の金で表される。10反の綿布=8 G の金、一個の時計=24 G の金、一トンの鉄=48 G の金、この8 G の金、24 G の金、48 G の匁の金はそれぞれ商品の価格である。匁(もんめ)
Ⅱ)金が価値尺度たる働きをすることができるのは、綿布や時計屋鉄と同じように、金もまた価値だからである。
価値としては、金は、綿布や時計や鉄と全く同じものである。長さを測るには長さを保ってしなければならず、重さを測るには重さは思ってしなければならない。長さを重さで測ることはできない。それと同じように、諸商品の価値を測るには価値をもってしなければならない。金が諸商品の価値を測ることができるのは、それ自身価値だからである。
Ⅲ)金が価値尺度たる働きをするためには現実の金は少しも必要でない。 10反の綿布の価値を8 G の金で表すためには、 の金で表すためにはただ の金で表すためにはただ頭の中で考えられた金(観念的な金)があるだけで十分である。しかしこういうことができるのは、商品生産者会では全ての商品が現実に金と交換されているからである。
Ⅳ)商品の価格は貨幣となる商品が何であるかによって、その大きさが違う。例えば一足の靴の価値は、貨幣商品が金であるか銀であるかによって、 異なる価格で表される。例えば靴の価格が金価格では5000円、銀価格では15万円というように、→〔文献《資本論》Ⅰp、203から9 《経済学批判》 青木 p 80から7〕
価値章票(独 Wertzeelchen)、貨幣章票(独Geldzeichen)紙幣は金(貨幣商品)を表すから、金章標(貨幣を表すもの)であり、貨幣章標(花柄を表すもの)である。金は、それ自身一定量の価値を持っており、紙幣は金の価値を表すから価値章票(価値を表すもの)である 。紙幣が価値章標であるのは、商品の価値を表すからではない。紙幣は直接には金を表し、ただ間接にのみ商品の価値を表す。 (文献 《資本論》Ⅰp、235 《経済学批判》 青木 p、 150から2
価値法則 (独 Wertgesetz)
Ⅰ)諸商品の交換の基準になる商品の価値はその商品を生産するために社会的に必要な労働の分量によって決まるという法則である。マルクスは、〈諸商品はそれを生産するために社会的に必要な労働の分量を基準として交換されるという法則である〉と言っている。〔文献
《資本論》Ⅲp、38、p、43から67〕
Ⅱ)価値法則は商品生産のあるところでは常に作用するが、資本主義的生産の基礎上でのみ完全に展開する。〔文献 《資本論》Ⅰp、840〕
Ⅲ) 価値法則は商品の交換を規制する。商品が日々に市場で売買される価格は市場価格である。商品の市場価格は、その商品に対する需要と供給との関係によって高くなったり低くなったりする。需要が供給より大きい時は高くなり、供給が需要より大きい時は低くなる。しかし少し長い期間を取ってみると、 市場価格は一つの中心価格を基準にしてその上下を動揺し市場価格がこの中心価格よりも高くなると供給が需要より大きくなって、市場価格はこの中心価格の方に引き下げられ、 市場価格がこの中心価格よりも低くなると、需要が供給よりも大きくなって、市場価格はこの中心価格の方に引き上げられる。 ということが分かる。この中心価格は、単純商品生産の場合には価値であり、資本主義生産の場合には価格の転化した生産価格である 。
少し長い期間を取ってみれば、結局、諸商品はそれらの価格を基準にして、互いに交換され合っている。価値が変動すると、価格もまた変動する。〔文献 《資本論》Ⅰp、176、Ⅲp、269〕
Ⅳ)価値法則は、商品生産社会の生産諸部門の間に社会が持っている生産手段の労働力を分配する作用をする。どんな社会であろうと、いやしくも社会が存続するためには、その社会が必要とする靴や洋服や鉄や石炭や機械のようなすべての物質財貨が、社会の必要とする分量で大豆生産されねばならない。そしてこれらの物質的財貨が社会の必要とする分量でたえず生産されるためには、社会が持っている労働力と生産手段との全体が、これらの生産諸部門の間に、社会の需要とこれらの生産諸部門の生産力に応じて(社会の需要に正比例し生産諸部門の生産力に反比例して )、適当に分配されなければならない。
そして商品生産社会では、社会の労働力と生産手段との生産諸部門の間へのこの分配は、社会主義社会の場合のように、社会の何らかの中央機関によって意識的計画的に行われるのではなく、価値法則の作用によって自然発生的に行われている。
この社会では生産の無政府性と自由競争の法則が支配し、ここの商品生産者たちは、他の商品生産者たちがどんな商品をどんな分量で生産するかを、前もって知ることなしに、盲目的に生産し、製品を市場に売り出して競争する。その結果、ある商品はあまりに多く生産され、他の商品はあまりに少なく生産されることになる。しかし商品があまりに多く生産された部門では、供給が需要よりも大きくなるために、商品の価格はその価値(資本主義の場合には生産価格以下に下がり、生産は縮小され、労働力と生産手段とのこの部門での使用はそれだけ少なくなる。これに反して、部門があまりに少なく生産された生産部門は需要が供給より大きくなるために価格は価値(資本主義では生産価格)よりも高くなり生産が拡大され労働力と生産手段のこの部分での使用はそれだけ多くなる。こうして商品生産社会では価格が絶えず価値(資本主義社会では生産価格)を中心として動揺するために 、社会が持っている労働力と生産手段とは生産諸部門のあいだに再分配される 。
しかし一度再分配で労働力と生産手段との生産諸部門の間への分配が社会の需要と生産諸部門の生産力とに応じた適当なものになるわけではない 。
生産に無政府状態が支配しているために、絶えず行き過ぎが行われ、昨日まで商品があまりに多く生産されていた生産部門では、今日は生産が過度に縮小され、この商品の供給は需要に対して不足するようになり、価格が価値より高くなり、そのため明日はまた生産が適度に拡大されるという有様である。
こうして社会が持っている労働力と生産手段の生産諸部門のあいだへの分配は、いつも不適当に行われているが、価値法則はこの不適当な分配を変えず適当な分配に引き戻す力として作用している。
そのため少し長い時間を取ってみれば、適当な分配の平均として適当な分配が貫かれているのである。〔文献 《資本論》Ⅰp、59、
Ⅴ)商品生産社会では、生産諸力の発展が価値法則に基づいて行われる。ここの商品生産者たちは、商品を生産する場合、自分の儲けをできるだけ大きくするために、商品の生産品をできるだけ小さくしようとする。商品の価値は、その商品を生産するために社会的に必要な労働の分量によって決まるのであるから、一人の生産者が技術を改良して、その商品を生産するために個人的に必要な労働時間を、社会的に必要な労働時間よりも短縮しても、この改良された技術が普及するまでは、その商品の価値はもとのままである。そのためにこの商品生産者は、社会的に必要な労働の分量 (社会的価値)との差額を手に入れることができる。
そのため商品生産者等は、この差額を手に入れるために技術の改良を行う。しかし改行された優れた技術が普及してしまえば、社会的価値が、小さい個別的価値の水準まで下がって、両者の差額は消えてしまうから、商品の生産者たちは、この差額を手に入れるために、絶えず他人よりも前進し、もっと新しい技術を採用せざるを得ない。こうしてこの社会では、生産諸力の発達は、価値法則に基づいて行われる。
Ⅵ)価値法則は単純商品生産を分解して資本主義も発生させる。単純商品生産者の商品の価格は、それを生産するために社会的に必要な労働の分量によって決まるから技術水準の高い生産者は小さい個別的価値の商品(小さい労働の生産物)を大きい社会的価値で得ることができるので、次第に富み、技術水準の低い生産者は大きい個別価値の商品を小さい社会的価値で売らねばならないから、資材に貧乏になる。
こうして価値法則の作用によって、単純商品生産 分解し、資本家と労働者が現れる〔文献 レーニン〈ロシアにおける資本主義の発達〉全集第3巻p、138以下、レーニン(共産主義の左翼小児病)みかん先週第一分冊 p、8〕
Ⅶ) 社会主義社会でも価値法則は作用するが、その作用は制限されている。〔文献 《経済学教科書》Ⅲp、70062から8〕
ⅷ) 人民民主主義のもとでも価値法則は作用するが、その作用は制限されている。
〔文献 《経済学教科書》Ⅳp、982から4〕
(マルクス経済学辞典 宮川実 青木書店 価値尺度29ページから30ページ
価値章標 30ページ 価値法則30ページから32ページ より引用しました)
変革の時代と『資本論』18ページ(3)科学としての経済学の最高傑作『資本論』、それが明らかにしたこと
ー労働価値説を理論的基礎としている『資本論』とはどういう本ですか
◎『資本論』全体の基礎をなす第1部
完成された労働価値説を理論的基礎とした『資本論』は、正しく科学としての経済学の最高傑作です。『資本論』は、第一部「資本の生産過程」、第2部「資本の流通過程」、第3部「資本主義的生産の総過程 」、の前3分から成り立っています。マルクスの予定では、この他に「剰余価値学説史」と言われる走行を第4部に当てるつもりでした。第一部は、マルクス自身によって編集され、その初版は1867年に出版されました。第2部と第3部は、マルクスの死後、エンゲルスにより編集され、出版されました。
この全3部からなる『資本論」全体の基礎をなしているのはマルクス自身によって編集され、「一つの独立の著作」と言われる第一部ですマルクスは『資本論』第1部(初版)の序言で 「近代社会の経済的運動法則を暴露することがこの著作の最終目的である」と言っていますが、第1部部を学べば、「この著作の最終目的」である近代社会すなわち資本主義社会の経済的運動法則を理解することができます。そこで、ここでは、『資本論』扁別構成とそこで明らかにされたことをもっと簡潔に示し『資本論』第一部を学ぶ人のポケットサイズの案内図としましょう。
「商品・貨幣論(第1部)」。ここでは今お話しした労働価値説が述べられ商品の価値の 正体、貨幣の正体、したがってまた商品の価値を規定する価値法則が明らかにされています。
「貨幣の資本への転化論(第2扁)」。ここでは、資本主義のもとでは、人間の労働力も商品となっており、商品としての労働力の価値は、労働者の家族を含めた生活に必要な一定量の生活手段の価値に帰結することが明らかにされ、賃金の正体は労働力の価値であることが明らかにされています。
「剰余価値論(第3、4,5扁)。『資本論』の「要石」と言われる扁です。、まず資本主義の生産過程は 音による労働者の労働力の使用の過程であること、この過程での労働者の労働は、具体的有用労働として生産のために消費(生産的消費)された生産手段の価値( c)を生産された商品に移転するとともに、抽象的人間労働としては、労働力の価値に等しい価値(v)とそれを上回る余分の価値すなわち剰余価値(m)を生産することが明らかにされています(ですから、商品〔資本主義商品〕の価値は、 C + V + M となります)。この常陽勝ちこそ資本家が手に入れる利潤の正体なのです。 資本家はより多くの剰余価値=利潤を生産するためには、資本家は次の二つの方法をとることが明らかにされています。
一つは、労働日を延長するという方法で、絶対的剰余価値の生産と言われます。もう一つは労働の生産力と強度を増大するという方法で、相対的剰余価値の生産と言われます。
(4)「賃金論(第6扁)」。ここでは、労働者が自分の労働力を時間決めで(1日8時間という労働力の使用時間を限って)売るので、労働力の価値=価格は、「労働の価値=価格」すなわち賃金と言う形態を取ること、そこで賃金の単価が安いほど労働者はより長い時間労働をせざるを得ないこと、また労働者が長い時間労働をすると今度は賃金の単価が切り下げられること、このように低賃金と長時間労働大臣が相互に規定の関係にあること、が明らかにされています。
(5)「資本蓄積論(第7扁)」。剰余価値を資本に転化することを、資本の蓄積と言います。資本家は、手に入れた剰余価値=利潤の一部分を自分の生活ために消費(個人的消費)しますが、他の部分を元の資本に付け加える。すなわち蓄積します。その結果、資本の規模は大きくなります。従って資本の蓄積過程は、資本の拡大再生産の過程です。
「資本蓄積論」では、資本の正体は、蓄積された剰余価値であることが明らかにされ、また資本の蓄積過程は資本主義の生産関係そのものの拡大再生産過程であることが明らかにされます。次に資本の蓄積過程では、資本の有機的構成( C/V) が高まるので,労働者階級の一部が相対的過剰人口(失業者/半失業者)になること、そのことをてことして、資本家階級の側には資本としての富が蓄積され、労働者階級の側には様々な形態の貧困が蓄積されていくこと、が明らかにされています。
◎資本主義=剰余価値を取得する生産関係
以上のような『資本論』大中で明らかにされた商品の経済法則を理解するならば、それによって身につけた科学の目を持って、資本主義とは資本家が労働者が生産した剰余価値=利潤を不払いで取得する(搾取する)生産関係であること、労働の社会的生産力が増大し、商品としての富が増大していく(今流行りの言葉で言えば「経済成長」)中で、資本家の側には資本としての富が蓄積されていく (「会社」という姿を取った脂肪が益々大きくなっていく)のに、労働者の側には、長時間労働、低賃金、失業、半失業(不安定就業)など様々な形態の貧困が蓄積されていくのは、消して人々の心がけが悪かったためでも、努力が足りなかった為でもなく、資本主義の経済法則に規定されて必然的に起こったことであることを、見抜くことができます。この点に『資本論』の魅力があるのです 。
(変革の時代と『資本論』マルクスのすすめ『経済』編集部編 18ページ6行目から20ページ16行目まで 引用しました)
米 苦労様でした。最後に「価値法則」ネット上では どんな説明がされているか調べてみたくなりました。wikipediaから調べましたのでご覧ください。
商品の価値というものは、その商品を生産するために社会的・一般的な抽象的人間労働の必要量(社会的必要労働時間)によって規定される。例えばx量の商品Aを生産するために必要な社会的・平均的・一般的な抽象的人間労働の量が2時間であり、y量の商品Bでは1時間である場合、商品の持つ社会的な価値は一つである(「一物一価」の原理)ため、x量の商品Aはy量の商品Bと比較すれば二倍の価値を持つことが分かる。この価値量によって生産物の交換比率が規定され、交換価値が社会的労働の比例的な配分が実現される。
『資本論』第1巻の 目次の方は、次回で終わることになりそうです 。そうしますと序文の方に入ることになります 。自分は1ページから41ページまであるので、 読み進めていきたいと考えています。
交換と交換価値と言うことについて、辞典で調べたいです。 相対的価値形態と等価形態です。