第11回『資本論』の学習
新型コロナ感染症手の重症者数が1177人となり過去最高となっています。日本の政府の借金が1200兆円を超えて推移しており、 財政の立て直しなどが問題となってくるでしょう。ワクチン接種の動き出米国に向かう中南米の人が増えています。
本日2021年5月11日株価が急落し13時時点で日経平均マイナス885演となっています。
マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店 1ページ 第1版への序文
この著作は、859年に公にした私の著書『経済学批判』の続きであって、私はここにこの第一巻を読者に提供する。ものとこの続編との間には長い中絶を余儀なくされたが、これは私の長年にわたる病気が、私の仕事を幾度か中断させたからである。
右の旧書の内容は、この第一巻の第1章要約されている。この要約は、関連を明らかにし遺漏のないことを期するだけのためにしたわけではない。叙述が改善されたのである。事情が許す限りは、以前にただ被災しただけに終わっている多くの点が、 ここでは詳しく述べられている。他方、逆に旧書で詳細に述べたところが、この著ではわずかに示唆だけに留まっている場合もある。価値理論と貨幣理論の歴史に関する諸節は、新著ではもちろん全部除いた。しかし、旧著の読者は、第一編の注で、これらの理論の歴史に対する新たな資料が提供されているのを見られるであろう。
何事も初めが難しい、という諺は、全ての科学に当て はまる。第1章、特に商品の分析を含んで る節の理解は理解は、したがって、最大の障害となるであろう。そこで価値実態と価値の大いさとの分析をより詳細に論ずるに当たっては、私はこれをできるだけ通俗化することにした。完成した態容を貨幣形態に見せている価値形態は、極めて内容に乏しく、単純である。ところが、人間精神は2000年以上も昔からこれを解明しようと試みて失敗しているのに、他方では、これよりもはるかに内容豊かな、そして複雑な諸形態の分析が少なくとも近似的に成功しているというわけである。なぜだろうか?出来上がった生体を研究するより優しいからである。その上に、経済的諸形態の分析では、顕微鏡も科学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力なるものがこの両者に変わらなければならぬ。しかしながら、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態は、経済の細胞形態である。巣養のない人にとっては、その分析はいたずらに小理屈を弄ぶように見えるかもしれない。事実上、この場合問題のかかるところは採蜜を極めている。しかし、それは、ただ顕微鏡的な解剖で取り扱われる問題が同様に細密を極めるのと少しも違ったところはない。
(1)F・ラッサールのシュツ゚ェをばくした書の一部は、 おのずからそれらの諸問題に関する 私の論述の「精神的精髄」を再現したにとどまるものであることを声明しているのだが、この一節すら重大な誤解を含んでいるだけに、この通俗化かがなおさら必要と思われたのであった。ついでながら、F・ラッサールは、あれの色々な経済的労作の、例えば資本の歴史的性格、生産書関係と生産様式との関連、等々に関するすべての一般的理論的命題を、ほとんど言葉通りに私の案出した専門用語に至るまで、私の著書から取り、しかも典拠をかけていないのであるが 、こうしたやり方は、おそらく宣伝の点を顧慮してそうせざるを得なかったのであろう。もちろん私は彼の財布の論述や適用方法について述べているのではない。これらの事は私の少しも関するところではないのである。
なお、「通俗化することにした」という文句と「完成した態容・・・」の間には『資本論』第1版には左のような一節がある。この一節は再販以後に収められた第1版序文では取り除かれている 。モスクワの「マルクス・レーニン主義研究所」版 (アドラッキー版)、ディーツ゚版にも書かれている。最も。第2版では本文の叙述が改められ付録がなくなっている。
「勝携帯の分析においては事情が異なる。それは、弁証法が最初の虚実におけるよりもはるかに鋭く現れているから、理解に困難である。だから、私は、弁証法的思考にあまり慣れていない読者には、15ページ(上から19行目)から34ページの終わりまでの一説をすっかり省略すること、その代わりに、この巻に付け加えられ ている付録”価値形態”を読むことを勧める。そこでは問題をその科学的な言い方が許す限り簡単に、また学校教師風にすら叙述しようと試みである。付録を読み終わったならば、読者は再び35ページから本文を読み続けられたい。」 3ページ1行目まで
前書きに出てくる人物「福田豊」は見られないので「鎌倉孝夫」で調べたところ、その中に「福田豊」を発見できた。
鎌倉 孝夫(かまくら たかお、1934年2月23日 - )は、日本の経済学者。埼玉大学名誉教授、東日本国際大学名誉教授・元学長。
略歴[編集]
東京都出身。マルクス経済学者の宇野弘蔵に学び、宇野の死後は鈴木鴻一郎、大島清、岩田弘、大内力、橋本寿朗、降旗節雄、大内秀明、桜井毅、山口重克らとともに宇野学派の研究者の一人とされる。宇野のいわゆる三段階論(原理論・段階論・現状分析)を研究し、宇野原論をより一貫化し、また宇野派国家論の提起を受けて、国家論を展開した(『国家論のプロブレマティク』, 1990)。宇野学派の原論(『経済原論』,1964)の理解には、大きく分けて二つの方向があり、一つは形態関係=歴史的論理重視の立場であり、もう一つは純粋資本主義のモデル的理論への純化の方向を志向する立場がある。これに対して、宇野原論の理論と方法の真意を探りつつ、これを止揚(aufheben)する試みとして『経済学方法論序説』(1974)を著した。イデオロギーと科学の立場を明確に区別し、科学としての経済学が経済学原理として確立しうるかを客観的に確定するとともに、原論の論理を概念自体と概念間の論理的関連の明確化によって確立することにより、「資本主義経済の運動法則の理論的な解明」を図ることが、長年の研究の目的でもあった。その成果については、主著『資本主義の経済理論―法則と発展の原理論―』(1996)にまとめられている。近年では、原論の論理的規定が資本主義の発展の極限としての株式資本と土地価格を論理的に解明することを目指し、金融資本(投資家重視の株主資本主義)と土地と株式のバブル的騰貴と崩壊を説明する理論としての規定化を試みている。
勤務大学では「経済原論」および「金融論」を主に担当していた。
1960年代から70年代にかけて社会主義協会で活発に理論活動を行った。1982年11月福田豊とともに『現代資本主義と社会主義像』(河出書房新社)を刊行、協会内部で論争を巻き起こした。このため協会活動から遠ざかるが、福田豊と異なり退会はしなかった。1980年代以降、一貫してチュチェ思想を支持する立場に立っており、雑誌『キムイルソン主義研究』やその後継誌『金日成・金正日主義研究』などにたびたび論文を発表している。現在もキムジョンイル著作研究会全国連絡協議会代表世話人、チュチェ思想国際研究所理事[1]を務める。日朝友好への貢献が評価され、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会より親善勲章第1級を授与されている。
ソビエト連邦を批判していた。協同組合をつくったり、地域社会の中でお互いに支え合いながら生きていくという共同体の関係が社会主義であるとしている。
三里塚闘争(成田空港問題)でも著書『成田空港の「公共性」を問う―取られてたまるか!農地と命』を出版しており、また三里塚芝山連合空港反対同盟(反対同盟)北原派[2]の裁判では尋問にも出席している。
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