第24回『資本論』 の学習 マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店
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第3版に・・・の2回目です。今回でここは読み終わることになります。
文体についていえば、マルクスはいくつかの章節を、みずから根本的に訂正していた。そして私はこの訂正によって、またしばしば彼の口づての示唆もあって、英語の専門用語やその他の英語的語法など、どの程度に改むべきかについて標準が分るようになっていた。追加と補足とにたいしても、マルクスは多かれ少なかれなお加筆したであろう。
そして滑かなフランス語を彼自身の逞しいドイツ語に置き換えたであろう。私はこれらの追加と補足とを、原文にできるだけ沿って翻訳することで満足するほかなかった。
したがってこの第三版では、私が、著者自身改訂したであろうということをはっきりと知らない言葉は、一語といえどや変更されなかった。私はドイツの経済学者が好んで用いる表現で一般に行なわれている通語を、『資本論』の中に插入しょうなどとは、考えてめみなかった。
あの訳の分らぬ言葉のことだが、この言葉では、例えば、現金を支払って他人から労働を受ける者が労働の与え主といわれ、労働の受け主というのは、自分の労働を賃金に代えて与え
る者のことである。
フランス語で日常の生活では、労働(travail) が「仕事」(Beschäftigung) の意味に用いられる。
しかしながら、資本家を労働の与え主(donneur de travail)といい、労働者を労働の受け主(receveur de travail)と名づける経済学者があるとすれば、フランス人がこれを狂人と考えたとしても、当然のことであろう。
原文でずっと用いられているイギリスの貨幣や度量衡を、新ドイツの等量に換算することをま、私に許されているとは考えない。第一版が公刊されたとき、ドイツには度量衡の種類が三六五日の数ほどに沢山あった。
その上に、二種のマルクがあり(ライヒスマルクは、当時ゼートベールの頭の中で通用していただけで、彼はこれを三〇年代の終わ
ダス・ノイエ・ツヴァイドウリッテルりころに思いついていた)、二種のグルデンがあり、少なくとも三種のターレルがあって、そのうちの一つのターレル
は単位が「新三分の二貨」であった。自然科学ではメートル法が支配的であった。世界市場ではイギリスの度量衡が行なわれていた。
このような事情のもとでは、イギリスの尺度単位を用いることは、その事実上の拠りどころ
をほとんどめっぱらイギリスの産業関係から得てくるほかなかった一書にとっては、当然のことである。そしてこの最後の理由は今日なお決定的である。
それはかりでなく、世界市場のそれぞれの諸関係がなおほとんど変化していず、とくに主要な産業―鉄と綿花にとって、イギリスの度量衡が、なお今日ほとんどもっぱら行なわれているのだから。
最後に、なお一言あまり理解されていないマルクスの引用の仕方について語りたい。純粋に事実上の報告や記述では、たとえばイギリスの青書からの引用は、当然のことだが、単純な典拠として用いられている。
しかし、他の経済学者の理論的な意見が引用されているところではちがってくる。このばあいには引用は、どこで、いっ、そして誰が、論述の中に現われてくる経済思想を最初に明瞭に語ったかということを、確定するだけにとどめようとしているのである。
そのばあい重要なの は次のことである、すなわち、問題となっている経済上の観念がこの学問の歴史にとって重大であるということ、その観念がその時代の経済状態の多少とも妥当な理論的表現であるということである。
だが、この観念が、著者の立場にとってなお絶対的または相対的の妥当性をもっているかどうか、あるいはそれがすでに全く歴史上 ものになっているかどうかというようなことは、ぜんぜん問題となっていないのである。
したがって、これらの引用は、本文にたいしてただ経済学の歴史からとってきた標注の役をしている。そして経済的理論の比較的重要な進歩をいちいち、時日と創始者とについて確定していくのである。
そしてこのことは、その歴史を書く者が、今日まで偏頗で、ほとんど出世のためにするといってもいいような際立った無知しか示しえない一つの科学においては、極めて必要であったーそれで、なぜマルクスが、第2版のあとがきで同じことを述べているが、ドイツの経済学者を例外的に引用するに過ぎなかったのかも、納得してもらえたのであろう。
第2巻は出来れば1884年のうちに刊行できるようにしたいものである。
ロンドン 1883年11月7日
フリードリヒ・エンゲルス
26ページ5行目まで
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