第22回「資本論』の学習 マルクス「資本論』第一巻 向坂逸郎訳
21ページ 読者に与う
J・ ロア氏氏は、」できるだけ正確で言葉通りと言ってもいいほどの翻訳を供しようと企てらた。主はその課題を過ぎるほど綿密に果たされた。ところがまさにこのすぎるほどの綿密さのために、私は、読者にわかりやすいように、字句を変えなければならなくなった。この本が分冊で刊行されたために、毎日毎日続けたこれらの変更は、いつも同じ周到さで行わな言われたわけではなかった。そのために文体の不統一をきたすということになってしまった。
私がひとたびこの海底の仕事を引き受けるようになってからは、私はこの海底を、台本にした原本(ドイツ語第2版)にも加えるようになってしまった。すなわち、若干の論述を簡単にし、たのそれを安全にし、姑息的な歴史的または統計的な材料を加えたり、評語を付け加えたり、いろいろのことをやるに至った。このフランス語版にどんな文章上の欠陥があるにしても、この版は 、原本とは独立した一つの科学的な価値を持っている。そしてドイツ語のできる読者にすら、手許においてもらいたいものとなった。
私は、さらにいかにドイツ語版第2版のあとがきの一説を掲げておく、これはドイツにおける経済の発達とこの著作で適用された方法を音に関するものである〔ディーツ版、19-28ページ。向坂訳、8ー18ページ〕
1875年4月28日
ロンドン カール・マルクス
変革の時代と「資本論』マルクスのすすめ 「経済』編集部扁 33ページ21行目から
2『資本論』魚学ぶ五つの心得 (1)自らの頭脳を鍛えつつ学ぶ【前回33ページ20行目まで進みました】
このマルクスの指摘から伺えるように『資本論』の特徴は、まずそれが「ひとつの芸術的全体」と言われるように長大な理論的体系をなしていて、しかも「叙述の仕方そのものによって凡俗な武装を解除する」と言われるように、弁証法的唯物論という自然と社会及び人間の思考についての科学的なものの見方を縦横に駆使した、科学的に高度に厳密に叙述の仕方に貫かれていることです。
ですから、その 有名さに惹かれて何気なく手にしてみたくらいの気構えでは、すぐに顎を出してしまい、読みきれないのはむしろ当然なのです。つまり、『資本論』を読破し、理解するには、まず「科学としての経済学」魚自らの頭脳を鍛えつつ学び身につけるのだ、そのためにはどんな苦労も厭わないぞという覚悟を持って、「読破と消化のために時間を要する」と言われる尿に相当の長い時間を確保して精読する。理解できるまでは繰り返してでも読むことが必要です。
こういうわけで、マルクスは『資本論』第一部の「フランス語版への序言とあとがき」で、「いつでも結論を焦るフランスの読者層」が「読み続けるのが嫌になりはしないか」と心配して、あらかじめ次のように注意を与えました。
「学問にとって平坦な大道はありません。労苦を恐れない人々だけが、その輝く頂上にたどり着く幸運に恵まれるのです」と。このマルクスの注意は『資本論』魚を学ぶにあたって文字通り「座右の銘」として、各人の胸に刻み込んでおくのに値するものです。 34ページ9行目まで
今回は、間が五日間ほど空きましたので、内容を忘れていることもあります、第一巻の方は、それほど問題なく読めるところです。文章が短く難しいところもありませんでした。 変革の時代と『資本論』の方は「座右の銘」がまた登場します。
フランス人というのは、結論を急ぐ、短期的な性格ということになるのでしょう?ここは日本人の国民のキスと比べると、大きな差があると思います。日本人について詳しく分析したわけではないのですが、まるで違う人間性があるということは確かでしょう。
それは、昔に言えたことで、現代のインターネットの二台で同じことが言えるかというと分かりにくいところもあります。
これから学習しようとする人にも「読破」を目標に取り組んでいただければと思うところです。まだ第1章にも入っていないのでこれから学習する人は、是非参加していただければと願います。
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