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2021年5月7日金曜日

価値について、『資本論』を理解するためには、理解しておきたいところです

 2021年5月7日曇り


「資本論」の学習 第一感の目次の続きとなります。


今回、準備として「価値」について学びます。変革の時代と「資本論』は史的唯物論と労働価値説となります。価値というところで、重なりました『資本論』を学習するのは、理解しておきたいところです。目次につきましては、あと2回ほどで終わりたいです。

価値について、次は価値尺度、価値標章、価値法則などです。

変革の時代と『資本論』は科学としての経済学の最高傑作『資本論』それが明らかにしたことー労働価値説を理論的基礎としている『資本論』とはどう言う本ですか。 

となります。

 また前書きにあった人物の調査については途中で止まっていますが次回から、調べられる人は調べてみたいと思います。ルソー、スミス、リカードなども登場してきますが、あまりに有名なので必要ではないかと判断を迷っています。

 ネット上で調べると言いましても、まだまだ満足の行く 検索結果とはならない実情があるようです。前回の資本論の学習の時も、 たくさんの人物を調べることができました。2年ほど経過したのですが、それほど大きな進歩は期待できませんでした。

  自分で調べるとなると、大きな図書館でないと満足の行く調査はできないように思います。


                          




第4編 相対的剰余価値の生産・・・・・・・・・・・・・・405

第10章 相対的剰余価値の概念・・・・・・・・・・・・・405

第11章 協業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・417

第12章 分業と工場手工業・・・・・・・・・・・・・・・434

第1節 工場工業の二重記念・・・・・・・・・・・・・・・434

第2節 部分労働者とその道具・ ・・・・・・・・・・・・ 437

第3節 光城工業の二つの基本形態—異種的工場手工業と有機的工場手工業

                      ・・・・・・441


第4節 工場施工業の分業と社会内の分業・・・・・・・・・452

第5節 工場手工業の資本主義的性格・・・・・・・・・・・463


第13章 機械装置と大工業・・・・・・・・・・・・・・・・474

第1節  機械装置の発達 ・・・・・・・・・・・・・・・・474

第3節  生産物に対する機械装置の価値移転・・・・・・・・492

第3節 機械系映画労働者に及ぼす第一次的 影響・・・・・・・502

a  資本による補助的労働力のり領有婦人労働と児童労働・・・ 502

b 労働日の延長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・512

c 労働の強化・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・514


第4節  工場 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・532

第6節 労働者と機械との競争・・・・・・・・・・・・・・・・543

第6節 機械装置によって駆逐された労働者に関する保証説・・・555

第7節 機械装置の発達に伴う労働者の反発と索引。綿業恐慌・・567

第8節 代行業による工場手工業、手工業、家内労働の革命・・・561

a   手工業と分量とに基づく協業の廃業・・・・・・・・・・・・581

b 工場手工業と家内労働上野工場制度の反作用・・・・・・・ 583

c   近代的工場手工業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・585

d 近代的家内労働・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・588

e 近代的工場操業および家内労働の大工業への移行。これらの経営洋式に対して、工場法を適用することによってなされたこの革命の促進・・・・・・・593


第9節  工場立法(保険・教育条項)イギリスにおけるその一般化

                        ・・・・・606

第10節 大工業と農業・・・・・・・・・・・・・・・・・・・632 


目次は今回はここまでとなります。準備として「価値」について学びたいと思います。


価値(独 wert 英 value)

Ⅰ)商品の他の商品と交換されるという性格である。

Ⅱ)価値の実態は労働である。

一足の靴=2本の万年筆という交換においては、靴と万年筆とは、使用価値(人間の欲望を満たすもの)としては、全く質的に異なる二つのものである。

 質的に違う使用価値であるからこそそれらは互いに交換される。使用価値の等しい二つの生産物は交換される必要はない。だから一足の靴と2本の万年筆が交換において等しいとされている場合には、靴と万年筆との使用価値が等しいとされているのでは決してない。

 商品の交換においては、商品の使用価値は捨象(度外視)されている。それでは、靴と万年筆との交換において、靴と万年筆との双方に存在して互いに等しいとされているものは何であるか。それはこの所有者が人間の労働の生産物であるということである。

 万年筆とは、どちらも人間の労働の生産物であって、この点において両者は互いに等しいものである。靴と万年筆とが交換される場合、靴=万年筆とされているのは、実は労働生産物としても靴が労働生産物としての万年筆に等しいとされているのである。つまり、靴の生産者が靴を生産するために費やした労働が万年筆の生産者が万年筆を生産するために費やした労働と、等しいとして交換されているのである。


                         


 商品生産社会では、靴と万年筆とは別々の私的生産者 (直接には自分の利益のために生産するもの)によって生産されており、靴の私的生産者は靴を万年筆の私的生産者のために生産し、万年筆の私的生産者は、万年筆を靴の私的生産者もために生産している。

 つまり靴の私的生産者は、万年筆の私的生産者のために、万年筆の私的生産者は靴の私的生産者のために労働している。

 そして彼らは、各々の労働を、靴と万年筆という労働生産物の形で、つまり対象化された労働(物体の形をとった労働)として、交換しているのである。しかし、よく考えてみると、靴を生産する労働は、皮を切って縫い合わせる労働であり、万年筆を作る労働は軸を作りペン先を取り付ける労働であって、それぞれ一定の特殊な目的と作業様式と原料と労働手段とを持って行われる具体的労働である。

  それらは、決して等しい労働ではなく、質的に異なる労働である。だから靴を生産する労働と万年筆を生産する労働とが等しいものとして交換されるのは、具体的労働、(一定の特殊的な目的として作業様式と原料と労働手段をもって行われる労働)としてではない。しそしてかし靴を生産する労働と万年筆を生産する労働とは、どちらも人間の頭脳、筋肉、神経、手などの生産的な支出であるという点では、すなわち生理学的意味の人間労働力の質であるという点では、等しいのである。

 だから靴と万年筆との交換において両者のうちに含まれている等しいとされている労働は、靴を生産する労働と万年筆を生産する労働とからそれらの具体的な諸形態を捨象した労働、ただ単に人間の労働力の生理学的意味を支出というだけの労働である。という労働を抽象的人間的労働と言う。

 それが抽象的労働と名づけられるのは、靴を生産する労働とか万年筆を生産する労働とかいうような、一定の有名な個体的な性格が捨象されているからであり、人間労働というのは、労働がここではただ人間労働力の支出としてのに計算されているからであり。、

 人間労働というのは、労働がここではただ人間労働として支出としてのみ計算に入るからであるだから商品の価値はこういう捨象的人間労働が生産物を取ったもの、生産物に凝結したもの、対象化したもの、物の姿をとったものに他ならない。だから価値とは、人間の労働関係(生産関係)の物6の関係として現れたものである〔文献 レーニン〈カール・マルクス〉全集第21巻p、48、エンゲルス〈カール・マルクス著経済学批判〉 青木《経済学批判》 p、267 


Ⅲ)価値の大きさは社会的に必要な労働の分量によって決まる。 そして労働の分量は、労働時間の長さによって測られ、。だから一足の靴=2本の万年筆という場合には、一足の靴を生産するために社会的に必要な労働の分量(例えば10時間分の労働)が、2本の万年筆を生産するために社会的な必要のな労働の分量( 例えば10時間分の労働)と、等しいとされているのであ、。 ここに〈社会的に必要な〉というのは、次のことを意味する。

 商品生産社会では、社会が存続していくために必要な靴屋万年筆や機械など全ての物質的財貨は、この社会が持っている何千万かの個々の労働力からなる総労働力によって生産されている。

  そして社会のこの総労働力は社会のすべての精算書部門に、 例えば靴の生産部門に50万の労働力、万年筆の生産部門に30万の労働力と言うように、それぞれ配分されており、ここの労働力は総労働力の1肢体(1部分)たる資格しか持っていない。個々の労働力は、どれも、一つの同じ社会的労働力の肢体として、他の個々の労働力と同じ人間労働力である。そしてここの労働力は、ただこういう個人差を度外視された社会的平均的労働力としてのみ、価値を作るのである。だから商品の価値を作る労働は、その商品を生産するために個人的に必要な労働の分量ではなくて、社会的に必要な(その社会が必要とする)労働の分量である。

 同じ種類の商品(例えば靴)の一つ一つは、どれもみな、社会がこの種の商品の総量—例えば何十万足という靴の全体ーを生産するために費やした一つの同じ社会的労働(何十万時間かの労働)の一部分(何10万分の一)かを表しており、同じ大きさの価値を持つのである。だから、もしも一足の靴を生産するために社会的に必要な労働時間が10時間であるとすれば 、ある個別的生産者が、不熟練のためか、あるいは生産設備の悪いために、12時間を要するとしても、その12時間の労働は、この社会では10時間たる資格を持つに過ぎず、10時間分の価値しか作らない。


Ⅳ)社会的に必要な労働時間の大きさは、その社会におけるその時の標準的な生産諸条件(生産技術)と社会的に平均的な労働の熟練度および強度とをもって、その商品を生産するために必要な労働時間によって決まる 。例えば靴の生産者の中に、

1)社会的平均よりも悪い設備を持って生産しているものと

2)社会的平均的な設備をもって生産しているものと

3)社会的平均よりも優れた設備を持って生産しているものとの

三つがある、一足の靴の価値の大きさはこれらすべての生産者群が靴の生産に費やす労働の総量を割ったものに等しい。そうして得られる平均的な大きさは、

1)市場に最も多量の靴を供給する生産者群が一足の靴を生産するために事実上費やす労働の分量に近いものであり、 

2)その他の群な一足の靴の生産に事実上を費やす労働の分量よりも離れて、大きいか、あるいは小さいからである。

Ⅴ)以上述べたような、商品の価値の大きさは、その商品を生産するために社会的に必要な労働の分量によって決まる。 という経済学の法則は、価値法則と呼ばれる。〔文献 《資本論〉》Ⅰp、119から20〕


(マルクス経済学事典 宮川実 青木書店 27ページから29ページ 価値、具体的労働、抽象的労働、社会的に必要な労働の分量、価値法則 より引用しました) 



変革の時代と『資本論』マルクスのすすめ「経済」編集部編

14ページ (2)史的唯物論と労働価値説


ーそもそも社会主義者・、経済学を研究し『資本論』を著したのは何故でしょうか。


◎経済学の研究「生涯 の事業」としたマルクス

社会主義者・革命として多忙を極めていた若いマルクスが、大学に勤めたわけでもないのに、経済学の研究を「生涯のの事業」どうした本当の訳を申しましょう。

 マルクス以前の時代の主要な社会思想は彼のフランス大革命を思想的に準備した啓蒙主義の思想でしたルソーなどの啓蒙主義者は、人間は他の動物と違って自然や社会の合理性、物事の善悪を判断することができる理性を持っている、その理性を保って審判すると、資本主義の社会こそ人間の本性にかなった合理的で永遠の正義が行われる社会である、

 そういう意味で「理性の国」であると考えました。つまり資本主義の社会と経済制度を啓発された人間の理性によって発見され、与えられたもの、一度与えられたら以後はに続く続くものと捉えたのです。


啓蒙主義Wikipediaより

啓蒙思想(けいもうしそう、: Enlightenment、: Lumières、: Aufklärung)とは、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。その主義性を強調して啓蒙主義(けいもうしゅぎ)ともいう[1]。ヨーロッパ各国語の「啓蒙」にあたる単語を見て分かるように、原義は「光で照らされること」である。自然の光(ラテン語: lumen naturale)を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味である。

時代的に先行するルネサンスを引き継ぐ側面もあり、科学革命近代哲学の勃興とも連動し、一部重複もするが、一般的には専ら(経験論的)認識論政治思想社会思想道徳哲学倫理学)、文芸活動などを指すことが多い。17世紀後半にイギリスで興り、18世紀ヨーロッパにおいて主流となった。フランスで最も大きな政治的影響力を持ち、フランス革命に影響を与えたとされる。ヨーロッパで啓蒙思想が主流となっていた17世紀後半から18世紀にかけての時代のことを啓蒙時代という。〕


 ところが、まもなく資本主義のもとで予想もしなかった労働者の貧困と無知が生じたのを見て、サン・シモン  フーリエ、オーエン を代表する投手の社会主義者は、どうも話が違うのではないか、私たちが考案した未来社会、すなわち社会の主要な生産手段を社会の全員で所有(社会的所有)し、全員が共同して労働する社会、従って階級のない社会、一言で言えば社会主義(共産主義)の社会こそが、「理想の国」「自由の国」であると主張しました。


サン・シモン Wikipediaより

生涯[編集]

シャルルマーニュの血統を引くというフランスでも高位の貴族の末裔としてパリに生まれる。遠縁の親戚に『回想録』を著したサン=シモン公爵ルイ英語版(Louis de Rouvroy、duc de Saint-Simon、1675年 - 1755年)がいる。

宮廷人として必要な教育と軍事教練を経て、16歳でラファイエットの義勇軍の士官としてアメリカ独立戦争に参加し、合衆国の産業階級の勃興に感銘を受けている。既にその当時パナマ運河の建設計画を考案していることをみても、サン=シモンの関心が主として産業と商業の諸問題に向けられていることがわかる。帰国して退役する。フランス革命恐怖政治の時期にはリュクサンブール宮殿に幽閉されたが、1794年に釈放される。晩年は貧困に苦しみ、1823年に自殺を企てている。

サン=シモンの諸説は後代の社会主義学説の発想をほとんど含んでいて、生前は認められなかったが、弟子のバルテルミ=プロスペル・アンファンタン英語版サン=アマン・バザール英語版などによって、サン=シモン主義と称する半ば宗教的な教説として世界の社会思想に影響を与えた。サン=シモンの社会研究の態度は高弟コントに受け継がれ、実証主義社会学として結実した。またフランス皇帝となったナポレオン3世はサン=シモン主義の信奉者であり、フランス第二帝政期には産業重視政策が取られた。

思想[編集]

詳細は「サン=シモン主義」を参照

サン=シモンの教義の核心は、富の生産を促進することが社会の重要な任務であり、したがって産業階級は貴族と僧侶よりも重要な要素である。一国の行政は市民の才能に任されねばならない。財産権は政治憲法よりも、社会の基礎を形作る上で重要な法である。彼は「50人の物理学者・科学者・技師・勤労者・船主・商人・職工の不慮の死は取り返しがつかないが、50人の王子・廷臣・大臣・高位の僧侶の空位は容易に満たすことができる」との言葉を公にし、1819年に告訴されている。この生産を営む階級の重視が、サン=シモンを「テクノクラートの予言者」と評価させる部分である。

しかしサン=シモンの場合、資本家と労働者は等しく産業階級であり、その対立は問題とされない。1810年代イギリスの労働者の反乱であるラッダイト運動に着目はしているが、「資本の所有者はその精神的優越によって、無産者に対して権力を獲得した」との見解を持ち続けた。労働者は自ら自由を獲得すべき存在ではなく、使用者によって保護されるべき存在なのである。サン=シモンはレッシングの『人類の教育』に感化され、1819年以降はキリスト教の道徳を産業社会に適用する方策を夢想した。すなわち、新しいキリスト教は礼拝や形式から脱却して、人間は互いに兄弟として行動し、富者は貧者を救済すべきである、とする人道主義へと傾いた。






 このように両者の思想の中身は違いましたが、「理想の国」「自由の国」を発見し、与えようという考え方(思想形式)は同じだったのです。ですから、当時の社会主義者たちは、現実には一体誰がどのようにして社会主義を実現するのかという肝心かなめの点を明らかに出来ませんでした。そこで、彼らの実際の運動は、せいぜい自分が描いた未来社会(社会主義社会)の設計図を当時の権力者や資本家の所に持ち込み、その「理性」に訴えて、採用してもらうと言った、誠にむなしい努力に終わりました。

 このようにして彼らは社会主義思想は一つの空想、いわば「絵に描いた餅」に止まっていたのであり、労働者階級の運動と結びつくこともありませんでした。こういうわけで、マルクスとエンゲルスは、彼らの社会主義思想を空想的社会主義と呼んだのです。


◎史的唯物論=科学的社会観をうち立てて


 若かったマルクスは、盟友エンゲルスと協力して、このような啓蒙主義者と空想的社会主義者の社会観、(社会と歴史についての見方)を批判し、乗り越える中で、史的唯物論または唯物史観と言う)科学的な社会観を打ち立てました。

 その社会観の大事な点をここでの話に必要な限りもうしましょう。

  先ほどの話につなげていいますと、人間は「労働する動物」であるとともに「社会的動物」です。人間はある社会の生産関係に入り込み、その下で労働するとともに、その社会全体で労働の生産力(社会的生産力)を増大させて行きます。社会的生産力が増大していくと、その社会の生産関係はやがて社会的生産力の性格と発展水準に照応しない、今や生産力の増大を妨げる古臭いものになってしまい、そこで一つの社会革命を経て、社会的生産力の性格と発展水準に照応した 次のような高度な社会の生産関係に取って代わられます。

 このように人間の意志や思想から独立に存在する社会の生産力と生産関係の矛盾を原動力として、人間社会の歴史的発展過程は、原始共産制社会、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会という社会を順次に経過してきたのです。 なお、奴隷制、封建制、資本主義という人々の階級に分裂している社会(階級社会では社会の生産力と生産関係の矛盾は、生産力の発展を担う階級と現在の生産関係の保持に勤める階級との間の階級闘争となって現れ、この階級闘争こそが社会の発展の生きた原動力なのです

 このような史的唯物論と言われる科学的な社会観から見ると、資本主義の社会と経済制度は、人間の理性などによって与えられ、以後永遠に続くものではなく、人間の意思からは独立な人間社会の歴史的発展の法則に基づいて、必然的に発生し、発展し、やがて没落する、歴史的に過渡期なものであると捉えられます。

 このように資本主義の社会は経済制度と歴史的に過渡的 なものと捉えると、社会主義者は、資本主義の発展過程そのものの中に、ひとつの社会革命を経て資本主義を社会主義に取り替える社会勢力と物質的条件を満たさなくてはなりません。

 そこで、社会主義者であり革命家であったマルクスは、史的唯物論を「導きの糸」として経済学の研究に向かい、科学としての経済学・『資本論』を著し、資本主義の発展家庭で数をまし、工場制度の中で訓練され、組織され、都市生活の中で啓発されていく労働者階級こそ、社会主義を実現できる力を持った社会勢力であり、従って 、社会主義の実現は、労働者階級が資本の支配から自らを解放し、社会主義社会という新しい階級のない社会の主人公になる運動と一体であることを明らかにしたのです。

 このように、マルクスは、史的唯物論と経済学にによって、社会主義思想を「空想」ではなく「科学的に証明された思想」に発展させたのです。社会主義思想を「空想」から「科学」ヘと発展させた、ここに『資本論』の魅力の一つがあります。私達がマルクスの思想と学説の全体すなわちマルクス主義を科学的社会主義と呼ぶのもこういうわけです。

 

◎マルクスによって仕上げられた労働価値説


 さて、いよいよ『資本論』お話に行きましょう。科学として経済学の理論的な基礎をなしているのは、先にお話しした商品の価値に関する諸学説の一つである労働価値説という経済学説です。労働価値説は、スミス、リカードを代表としているイギリス古典派経済学によって創始されました。まだよちよち歩きで頼りないところがありましたが、「科学としての経済学の生誕」です。


 労働価値説は、イギリス古典派経済学を批判的に継承した 曲によって完全なものに仕上げられました。多くの試練を乗り越えて堂々たる大人になった「科学としての経済学の確率」です。マルクスによって仕上げられた労働価値説とは次のような学説です。

 労働の生産物である商品は、使用価値と価値という二つの要因から成り立っており、この二つの要因の統一物です。使用価値とは、米は食べれば食欲を満たすというような人間も何らかの欲望を満たすという意味で有用なことです。

 価値とは、商品の中に対象化または結晶したドイツの人間労働のことです。 

使用価値は肉眼で見ることはできますが、価値は科学の目でしか見ることができません。

商品が使用価値と価値との統一物であるのは、商品を生産する労働が一面では米を作るとか上衣を作ると言ったそれぞれに異質な労働 (具体的な有用労働)であり、他面では何も同じ人間の(労働力の支出としての)同質な労働(抽象的人間労働)であるという二重性(二つの異なった性格)を持っていることに由来します。

 商品に大消化した抽象的人間労働であるか家の大きさは、その商品を生産するのに社会的に必要な労働量(労働時間)によって決まります。

社会的に必要な労働時間とは、社会の標準的な生産条件のもとで社会の平均的な労働が商品を生産するのに必要な労働時間のことです。商品交換が発展すると、商品の価値は、けんという商品の仕様書で表現されるようになります。その場合お金が、貨幣です 。前にお話しした商品の価格とは、商品の価値を貨幣で表したものなのです(ここで一つ補足をしておくと市場経済が発展すると、労働の生産物ではなく、従って価値を持たないもう〔土地の所有名義、地位、名誉など〕にも価格がついて、貨幣変われるようになります)。貨幣は市場経済という人間社会の生産関係が生んだものでしたが。貨幣が出現すると、貨幣は人間に対立し、人間を支配する経済力として現れ、人間社会を「万事お金の中」にするのです。

 以上のようにして、労働価値説は、商品の価値の正体、貨幣の正体、したがってまた商品の価値を規定する価値法則を科学のに目をもって明らかにしたのです。









 


2021年5月3日月曜日

科学の目を身に着ける。『資本論」の学習まに準備をしておきます。躓いたり、投げ出したりいないために

 

20221年5月3日月曜日 祝日 天気 晴れ

天気は良く晴れています。次の記事が目についたので、ご紹介・ご案内いたします。

資本主義に「緊急ブレーキを」=気候危機、格差が迫る転換―新書大賞マルクス研究者

 

 「資本論」で知られる経済学者カール・マルクスの思想を新解釈した新書「人新世の『資本論』」が、異例の売れ行きだ。執筆した経済思想家の斎藤幸平大阪市立大准教授(34)は、「気候危機や格差社会の根本原因である資本主義に緊急ブレーキをかけ、脱成長を実現する必要がある」と説く。  同書は昨年9月の出版から半年余りで25万部を突破、今年2月に新書大賞(中央公論新社主催)を受賞した。斎藤氏の著作は世界的にも注目されており、現在英語版の執筆に取り掛かっている。  斎藤氏はマルクス全集を編集する国際的なプロジェクトに参加しており、手付かずだった晩年の研究ノートを読解。「脱成長により潤沢な社会に移行する」というのがマルクスの思想の到達点だったと新書で解き明かした。  脱炭素化の取り組みは世界で加速するが、「気候危機は、利潤のために自然から収奪を続ける資本主義の結果だ」と指摘。際限なく資源を浪費する大量生産、大量消費社会からの転換を訴える。  そのための方法として、水道や電力、医療、教育といった基礎的なサービスを住民が管理に加わる「コモン(共有財)」に切り替えるよう提言する。パリやバルセロナなど欧州の大都市の取り組みに注目し、「休日を増やすなどして労働をスローダウンすれば、成長主義の悪循環から解放され、二酸化炭素の排出も低減できる」と話す。  日本を含め各国で経済格差が広がる現状を憂い、「脱資本主義の体系的な議論があるのは、歴史的にもマルクス主義しかない。使わない手はない」と力を込める。今後は国家論や貨幣論にも取り組む考えだ。 【時事通信社】 〔写真説明〕取材に応じる「人新世の『資本論』」著者の斎藤幸平さん=2月24日、大阪市住吉区

情報提供元 : 時事通信社

記事名:「 資本主義に「緊急ブレーキを」=気候危機、格差が迫る転換―新書大賞マルクス研究者

『資本論』の学習、本文に入る前に、現在目次から学習していますが、今回は目次は後回しにして、学習に取り組むための注意点などを変革の時代と『資本論』マルクスのすす『経剤』 編集部編 を読みながら進めていきたいと思います。

《【Ⅰ】『資本論』とマルクス経済学のすすめ

1 科学としての経済学=『資本論』の魅力を語る

                              金子ハルオ

                             (聞き手 =「経済」編集部)

(Ⅰ) 科学としての経済学とは何か、何の役に立つのか

ーこれから、経済学を学ぼうとする人からよく出される質問は、経済学とは何か、何の役に立つのかというものです。入学ガイダンスで「経済学を学ぶと金儲けができますか」と尋ねた学生もいました。そういう人たちへのアドバイスをお願いします。

◎ 経済活動は意識と独立した法則によって

そういう質問をする学生を始め、これから経済学を学ぶ人には、学ぶにあたってまず心得て欲しいことがあります。それは、自然の出来事(自然現象)がここの人間の医師から独立な(客観的な)自然法則に規定されて怒ると同様に、 人間の経済生活(経済現象)もここの人間の医師からは独立な経済法則に指定されるということです。

 雷の正体(本質)は電気であり、水の正体は水素と酸素との化合物( H₂ 0)であり、それらの運動は、自然科学が明らかにした(電波の法則や力学の法則と言った)自然法則に規定されてなされているということは、中学・高校までの物理・化学などの理科の授業で学んでいるので、誰でも知っています。ですから、物理学とは何かという質問をする学生はいません。ところが自然の出来事が人間無しで起こるのに対して、(できるだけ貯金をしようとか、株で一儲けしようと言った)それぞれに石を持った人間の行為をどうして起こるので、ここの人間の医師からは独立な(客観的な)経済法則などというものはないように思われ、人間の経済生活が経済法則に規定されてなされていることが見失われがちになるのです。それに、中学・高校までの社会の歴史の授業では、19世紀初期にイギリスで産業革命が進行し、順次に他国へ普及したとか、1929年にアメリカ合衆国で大恐慌が勃発し、たちまち世界を巻き込んだとか、歴史上の出来事を教わりますが、それらの社会の出来事がどのような経済法則に基づいて起こったのかはほとんど教わりません。ですからそもそも経済学とは何かという質問が出るのです。

◎人間の経済活動の基本は労働

 では、経済が研究の対象としている人間の経済生活はどんなものでしょうか。人間は生活するためには、 必ず衣・食・住と言われる生活手段を手に入れ、それを家族と共に消費して自分自身を維持し、また次の世代を担う子供を産み、育てなくてはなりません。ところが、生活手段を手に入れるためには、人間は、まず労働という活動によって人間の外部にある自然に働きかけ、生活手段を清算しなくてはなりません。人間の経済生活は、人間社会の発展とともに広がりを持って行きますが、その基本をなしているのは、労働によって生活手段を生産し労働の生産物である生活手段を消費することです。

 ここで、これから経済学を学ぶ人は、まず「労働」という人間の活動について、よく掴んでおいてください。蜂が蜂蜜という自分の生活団を生産する活動は 、橋という生命体の種の本能的な活動であって、労働ではありません。ですから8はいつまでも同じ仕方で同じ蜂蜜を作り続け、蜂蜜生産の発展ということはおこりません。これに対して、人間は労働するに先立って、魚を取りたいとか家を建てたいという労働の目的を意識していて、その目的を実現するような仕様・仕方で労働するのです。

 このように、労働は、「目的意識的活動」と言われる人間にのみ特有な活動です。ですから、人間の労働は、素手ではなく、乳歯は釣り竿使い、大クワノコギリヤかんなを使うというように、必ず労働の目的を実現するのに適した道具や機械などの労働手段を用いて、労働の目的を実現するのに適した自然(人間の外部に存在する自然または既に人間の労働が加えられた自然である原料) である労働対象に働きかけ、それを変化させて、目的であった労働の生産物を生産するのです。経済学では、労働をするのに用いられる労働手段と労働が加えられる対象である労働対象とを合わせて生産手段と言います。労働の生産物とは、労働と生産手段とが結び合わさって生産されたものなのです。

 人間は労働という活動、同じことですが労働による生産という活動をする中で、他の動物(生命体)とは違って創意工夫を凝らして、道具や機械などの労働手段を労働によって作り出し、また改良を加えることなどによって労働の生産力(労働の生産物を生産する力)を増大させ、また自分自身を発達させていききます。このことが、実は、人間の社会と経済生活が歴史という人間に特有な発展をする原動力なのです。

◎商品経済・市場経済の生産関係

  さて、 経済を学ぶにあたって大切なことは、人間は「労働する動」であるとともに、アリストテレスがいった。「社会的動物」であるということです。すなわち、人間は、生まれながらに(封建社会とか、資本主義社会とか言った)ある社会に入り込み 、この社会に特有な(生産において人と人とが取り結ぶ関係である)生産関係の下で、その生産関係( 経済関係といってもよい)における立場に規定されて、経済生活をしているということです。

 まず、私達が生まれ着いた資本主義社会の生産関係の大本にある(一般的な)生産関係は、商品経済または市場経済と言われる生産関係です。すなわち生産手段の知的所有と社会的分業が行われているために、労働の生産物が商品として生産され(言い換えれば自分が消費するためにではなく他人に消費されるために生産され)市場である価格を付けられて売買されている生産関係です。この生産関係の下では、生産者である売り手の立場に立ったものは、商品をなるべく高く売ろうという意思をもって販売を行い、消費者である相手の立場に立ったものは、同じ商品をなるべく安く買おうといった意思をもって購買を行います。確かに売買(商品取引)という人間の経済活動は、、それぞれの石自体が商品経済と生産関係のもとで売り手の立場に立つか、相手の立場に立つかによって規定されているのです。

 ですから、商品の価格は、その社会での商品の需要と供給との関係によって変動します。需要が供給を上回ると売り手の取引が大きくなり、商品の価格は上がります。ところが、商品の価格が上がっていくと、需要が減り、供給が増えます。そうして供給が需要を上回ると買い手の取引が大きくなり、商品の価格は下がります。このようにして、商品の価格は変動しながら、長期的に見れば、結局、需要と供給が一致し、売り手と買い手の取引が対等になった(均衡した)点に定まります。では、そのような商品の長期的に見た価格は、何によって決まるのでしょうか。科学としての経済学は、それぞれの商品の (自然的値打ちではなく社会的値打ちいう意味での)価値によって決まるということを明らかにし、商品の価値の正体(本質)は、商品経済の下での社会的労働であることを明らかにし、商品の価格とその変動は、ここの人間の医師からは独立が価値法則という経済保護色に規定されていることを明らかにします。 

◎資本家は、「利潤」、地主は「地代」、労働者は「賃金」その本質は?

 次に、私たちが生まれついた資本主義社会の基本的な生産関係(経済関係といってもよい)すなわち資本主義の生産関係とは、どういうものでしょうか。資本主義社会には、工場や機械などの社会の主要な生産手段が私的に所有している資本家と言われる人々(階級)と、土地を私的に所有している地主(近代的地主)と言われる人々(階級)と生産手段を所有せず、従って資本、(現在では資本主義企業という姿をとっています)に雇用されて、資本家のもとで労働し、ションから賃金という雇用料受け取る他に生活する道がない労働者(賃金労働者)と言われる人々(階級)とが存在します。この資本主義の三大階級は、商品経済が封建制社会の中に浸透していった封建制社会を解体していく中で歴史的に形成されました。

資本主義の生産関係は の生産においてこの三大階級の鳥結んでいる経済関係であって、3代階級の人々は、それぞれ資本主義の生産関係における自分の立場に規定されて、それぞれの経済生活をしています。この生産関係の下では、資本家は、自分が所有しているショーンと言われる貨幣を持って、工場・機械・原料などの生産手段を買い入れ、また賃金を支払って労働者を雇い入れ、自分のもとで労働者の労働と生産手段を結び合わせて使用品を生産します。そうして資本家は、その商品を売り、売って得た貨幣を持って、 生産手段の購入費支払った賃金を埋め合わせうえ、なお手元に残った貨幣を自分の基準として取得します。

 さらに、資本家が地主から生産に必要な土地を借りていた場合には、荘川自分の利潤の中から地主に地代という借地料を支払います。このようにして資本家は「利潤」という収入を得、地主は「地代」という収入を得、労働者は「賃金」という収入を得、それぞれの収入を持ってそれぞれの経済生活をしています(ここでひとつの補足をしておくと、実際の資本主義社会には小規模な生産手段をし的に所有しその生産手段と自分の労働とを結びつけて商品を生産している自営業者という人々が存在し、 自営業収入を得て生活しています)。

 さて以上述べたことは、、資本主義社会で生活している人々は、経済学など知らなくても、生活上の経験によって知っていることで、言わば「経済常識」 です。科学としての経済学は、資本主義の生産関係を研究して、「経済常識」では捉えられないこと、すなわち肉眼で見ることができない「利潤」「地代」「賃金」の正体(本質)を明らかにし、その運動(大きさ)がここの人間の意思から独立が資本主義の経済報告に規定されていることを明らかにするのです 。ですから、科学としての経済学を学べば、資本主義社会の人々の経済生活を規定している経済法則を理解でき、貧困、恐慌、経済格差などといった経済生活の出来事を経済法則に規定されて起こったものとして捉えることができる、平たくに変えれば科学の芽を身につけ、カープの女を持って経済生活の出来事の正体(本質)を見抜くことができるのです。

◎科学の芽を身につける

 こういう次第で、経済学は何の役に立つのかと言うと、科学として役に立つ、言い換えれば科学の芽を身につけるのに役立つのです。先日、ある運送会社のトラック運転手が深夜に及ぶ長時間の運転をした挙句交通事故を起こしたという新聞記事を見ました。こういう記事を見ても、経済学を学んでいない人は、事故は運転手の不注意が原因だ「自己責任」だ、事故をなくすため 、会社もっと職業訓練や道徳教育をやれといった思いしか浮かんできません。これに対して経済学を学んだ科学の芽を身につけた人は、賃金労働者である運転手は、家族共々慎ましく暮らせる賃金を得るために、「会社」という姿を撮った資本家のもとで長時間の辛い労働をせざるを得なかったのだということを見抜き、彼を長時間労働に追い込んだ経済のしくみが見えてくるのです。これが科学としての経済学の魅力です。

 最後に言っておきたいことは、、それがパークとして役立つということと、技術的に役立つということとは、役立つという意味が違うということです。自動車教習所で運転技術を学べば、それは自動車を運転するのに技術的に役立ち、自動車を上手に運転出来るようになります。しかし経済学を学んだからといって、それが技術的に役立ち、上手に金儲けできるようになるとは限りません。もしも、経済学は 技術に役立つならば、経済学者は皆金持ちになってしまうでしょう。しかし、私の友人には、マルクス経済学者、近代経済学者と言われる人がたくさんいますが、金持ちになった人は誰もいません。マルクスは、経済学の研究を貧困の中で行いました。著名な近代経済学者ケインズも、商品や為替の投機に手を出して大損したことがあります。一時期、近代の寵児ともてはやされたホリエモン( Livedoor 元社長)ですが、彼が短期間に大儲けしたのは、経済学を学んだからではなくて、小泉政府の「構造改革」の中で出された「規制緩和」と言う経済政策にいち早く便乗して、それまではできなかった詐欺まがいなやり方で大量の株取引をしたからです。まさに小泉「構造改革」、それが彼の正体です。》

(変革の時代と『資本論』マルクスおすすめ 『経済』編集部編 【Ⅰ】『資本論』とマルクス経済学のすすめ 9ページから14ページ20行目まで《》内利用しています)


2021年5月2日日曜日

コロナ感染症、『資本論』の学習 労働の二重性について

 日本では、政府が緊急事態宣言を発しているが、新型コロナ感染症確認は増加を続ける。

 人類は過去にベスト(黒死病)、インフルエンザ(スペイン風邪)の経験を1918年頃に経験してきている。現在の新型コロナウイルス感染の克服にあたっては、ワクチンの製造、接種まで、なんとかたどり着いたが、変異株の流行が激しく、ウイルスは形を変えて人類を襲ってきています。

 問題はワクチンが変異株にどの程度有効であるかということが、現在2021年5月2日時点では、確認できていません。こういうことは、だいたいが後になってわかることなので、今の時点では、ワクチン自体が無意味であるとも言えないです。 

 言えることは、地球規模のウイルス災害であり、一国だけではとても解決できない問題で世界全体の連携・ 協調が不可欠であるということです。

 このコロナ関係で、経済的な打撃はまだ深まりそうです。それに伴い労働者の雇用が不安になっています、失業率が悪化し、首切りが行われている現実が報告されています。 

 政府が企業支援を行っていますが、解雇に歯止めがかけられないのでは、何のための支援かも分かりません。

 支援するところを、中小企業や、低所得者層などの救済に集中するようにしたらどうでしょう。


 『 資本論』の学習、本文にはまだ入っていないのです。事前に学習を準備するために、ある程度のことを、調べてから入りたいと思い、目次にある項目で下調べをしているところです。今回労働の二重性、抽象的労働と具体的労働について調べてみました。また本文の中で学習することになるでしょうが、一応学んでおいて無駄ではないと思います。

 前に商品について、触れてありますがその内容も確認して 頂ければと考えております。




抽象的労働( abatrakte Arbeit)

Ⅰ ) 人間の労働は直接には織物労働、米を生産する労働靴を生産する労働と言うように一定の特殊的な目的と作業様式と原料と労働手段と持って行われる具体的労働である、、この歌い手き労働から具体的な諸形態を捨象(度外視)下労働、ただ単に人間の労働力の生理学的意味の支出(人間の生理的エネルギーの支出)というだけの労働が、労働の社会的性格(他人のための労働という性格)を表すようになったものを、抽象的労働と言う。


 抽象的労働は、単に人間の生理的エネルギーの支出としての労働ではない。それならば生理学的なカテゴリー出会って、どんな社会のどんな労働も、全て生理的エネルギーの支出としての側面を持っている。


しかし抽象的労働は経済的なカテゴリーであって、生理学的なカテゴリーではない。生理的エネルギーの支出としての労働は、労働の社会的性格(他人のための労働であるという性格)を現している場合のみ、抽象的労働となる。


Ⅱ)人間は、生活に必要な物質的大財貨を生産する際に、互いに孤立して生産するのではなく、常に集団をなして社会を作って 行動する。だから生産は常に、そしてどんな条件の下で、社会的生産(他人のための生産)である。

 だから労働は、どんな社会においても社会的性格(他人のための労働だという性格)を持っており、社会的労働(他人のための労働)である。

 しかし商品生産社会以外の諸社会では 労働の母体的携帯がそのまま社会的形態であった(具体的労働がそのままで労働の社会的形態であった)例えば、原始社会では、狩猟をする労働、魚を捕らえる労働などが、具体的労働のままで他人のために役立つことができ、労働の具体的自然的な形態がそのままで労働の社会的形態(他人のために役立つけ形態)であった。

また自分の消費のために穀物や家畜や着物などを作っている農民家族も、これらの生産物を作る種々な労働、すなわち工作や機織りや裁縫などは、それらの自然的形態のままで、家族全員のための労働という役割を果たした。

 さらにまた、中世の封建社会では、農奴の労働と労働生産物とは、賦役(封建領主のためにするただ働きの労働)と 現物年貢として、つまり具体的労働と使用価値とのままで、濃度の手から封建領主の手に渡り社会的役割を果たした。

 このように原始社会でも、古代社会でも、封建社会でも、生産の具体的な労働は、他人の必要とするものを生産するというその社会的機能(働き)お、具体的労働のままで行うことができ、したがって具体的労働のままで社会的労働であった。


Ⅲ)ところが商品生産社会では、労働は、その自然的形態(具体的形態)のままで直接には、その社会的な機能(働き)を行うことができない、この社会では、社会の存続のために必要な靴や洋服など全ての物質的財貨は、互いに独立な・バラバラな・私的生産者たちによって 自分にとっては不必要な・ しかし、他人にとっては必要な・生産物として生産されている。

 そのために社会では全ての生産物は、全面的に交換され会わねばならない。この社会でも、私的生産者たちは、 自分に必要な、他人にとって必要な物質的な財貨を生産しているのであり、つまり他人のために、社会のために、労働をしているのであり、それらの労働は社会的労働である。

 しかし、この社会では、農道は、直接には私的労働(自分の利益のための労働)通して行われているために、具体的労働のままでは、他人のために働くというその社会的な機能(働き)をすることができない。 労働が他人のために働くというその社会的機能(働き)をするためには、その生産物が商品として他の私的労働の生産物と交換され、その生産物を必要とする他人の手に渡らなければならない。そしてこういう交換においては、洋服と靴というような異なる種類の生産物が、等しい質ものとして、つまり価値として、互いに等値され、したがってまたこれらの生産物を作ることなる種類の労働が、等しい質の労働としてすなわち人間の労働力の生理学的意味の支出として、人間の頭脳や神経や筋肉や感官などの生産的支出として等置される。

 だから社会では、労働の社会的機能は、具体的労働そのものによって直接に果たされるのではなく、労働の生理的エネルギーの手術たる性格を媒介して、果たされるのである。

 このように労働の社会的機能を果たしている生理的エネルギーの支出としての労働は、抽象的労働である。

  だから人間は抽象的労働によって商品の価値を作る。→<具体的労働><社会的労働><価値>〔文献≪経済学批判≫    青木 P. 30-1,34-6 ≪資本≫Ⅰp.118-9, 126-31〕


(マルクス経済学事典 宮川実 青木書店 202ー203ページ 抽象的労働 より引用。)


具体的労働(独 konkrete Arbeit)


Ⅰ)指物師の労働、靴屋の労働、織物河野労働のように一定の特殊な目的と作業様式と原料と労働手段とをもって行われる労働である。

 具体的労働は、商品の使用価値を作り出す。労働は全て具体的労働である。


Ⅱ)社会形態がいかようであろうと、人間の生活手段の生産は、常に、特殊的な・合目的な・生産的活動によって、行われた。

 だから具体的労働は、人間の、どの社会携帯とも関わりのない一生存条件であり、人間が自然に働きかけて物質的生産手段を生産するためには永久に存在しなければならないものである。それは社会主義にも存在する。


Ⅲ)具体的労働は、何もないところから塩価値を作り出すのではない。それは、多田自然の打つ際に働きかけて、その形を人間の欲望を満たすのに都合のよいように変えるだけである。つまり自然を改良するだけである。

 しかもそれだけではない。人間は、自然の物財の形を変える(自然を改造する)労働においてさえ、自然の諸力(水流や電気や電気力や日光など)の助けを借りる。だから仕様書を作る労働(具体的労働)について言えば労働はそれが作り出すものの(すなわち物質的富の)唯一の源泉である。というのは誤りである。

 それは、その前提として自然の物財を必要とする。〔文献マルクス≪経済学批判≫  青木 p.40〕

(マルクス経済学事典 宮川 実青木書店 59ー6ページ 具体的労働 より引用。) 



世界の富豪を見ると。格差は拡大するばかりです。資本論は労働の二重性について

 2021年5月2日 日曜日 天気 晴れ 


 新型コロナ感染症拡大が全国でまだ増えています。今回の緊急事態宣言の効果もどんなものか先行きは不明です。ワクチン接種が行われていますが、日本は欧米などに比べ大幅な遅れをとっているということです。

 繁華街などの人出は大幅に減少しているようです。この辺で治ってくれないと経済的には相当厳しいものになりそうです。


 ところで先日 フォーブス世界長者番付2021の発表がありその保有資産が発表されたので、

 1位 ジョフ・ベゾス(Amazon) 1770億ドル

2位イーロン・マスク( テスラ) 1510億ドル

3位ベルナール・アルノー( lvmh)1500億ドル

4位ビル・ゲイツ ( Microsof)1240億ドル

5位マーク・ザッカーバーグ(Facebook) 970億ドル

29位孫正義( ソフトバンク) 454億ドル 

31位柳井正(ファーストリーティング) 4401億ドル

62位滝崎武武光(キーエンス) 258遅れる


資産10億ドル以上の富豪は2755人で前年より660人増え合計資産額ならも13兆1000億ドルと8兆億ドルから増えた。

 資産10億ドル以上の富豪は国別では米国が724人、兄は中国で242人増の698人と首位迫った。(山梨 日日新聞 2021年4月8日 経済面参照 ) 


『資本論』の学習は目次の続きとなります。


第3扁 絶対的剰余価値の生産 ・・・・・・・・・・・・・・・・・231


第5章労働過程と価値増殖過程・・・・・・・・・・・・・・・・・・231


第1節労働過程・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・231

第2節価値増殖過程・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・242


第6章 不変資本と可変資本・・・・・・・・・・・・・・・・・・・259


第7章 剰余価値率・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・274


第1節 労働力の搾取度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・274

第2節生産物の比例諸部分における生産物価値の表示・・・・・・・・284

第3節シーニョアの「最終1時間」・・・・・・・・・・・・・・・・288

第4節剰余生産物・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・295


第8章労働日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・298


第1節 労働日の限界・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・298

第2節常用労働に対する渇望。工場主とポやール・・・・・・・・・303

第3節搾取に対する保護的制限を欠くイギリスの産業諸部門・・・・314

第4節昼間労働及び夜間労働。交代制・・・・・・・・・・・・・・ 331

第5節標準労働日のための闘争。14世紀中葉より17世紀末に至る労働日延長のための強制法

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 342

第6節標準労働日のための闘争。労働時間の強制法による制限1833ー1860年のイギリスの工場立法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・359

第7節標準労働日のための闘争。イギリス工場立法の他の諸国への反応

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・386


第9章剰余価値の率と剰余価値の量・・・・・・・・・・・・・・・393


 前回商品について若干学びましたので、今回は商品に現される労働の二重性について学びたいと思います。 これは第一編商品と貨幣 第1章商品 第2節商品に現れた労働の二重性・・・54のところに当たります。


労働の二重性


商品を生産する労働は、具体的労働であると同時に抽象的労働であるという矛盾した二つの性格を持っている。労働は具体的労働(一定の特殊敵な目的と作業様式と原料と労働手段とを持って行われる労働)

 そして商品の使用価値を作り、抽象的労働(労働の具体的価値を捨象下労働人間の労働力の生理 的意味の支出というだけの労働)としては商品の価値を作る。マルクスは、商品を生産する労働が具体的労働であると同時に抽象的労働であるという矛盾した竜の性格を持っていることを労働の二重性格、Do ppelchara-Kter ≪資本論≫Ⅰp123) 22者闘争的性格Zwisch lachtiges Chara-Kter ≪資本論≫ Ⅰ p 130) 二者分裂的性格 rwiespaltiges Charakter ≪資本≪≫ Ⅱ p.491,と言っている。 →〈具体的労働〉〈抽象的労働〉

(マルクス経済学事典 宮川実 322ページ労働の二重性格より引用) 

 

抽象的労働と 具体的労働


抽象的労働(独 abstrakte Arbelt) Ⅰ)人間の労働は直接には織物労働、米を生産する労働、靴を生産する労働と言うように一定の特殊的な目的と作業様式と原料と労働手段と思って行われる答え的労働であるが、この具体的労働から具体的な諸形態を捨象(度外視)した労働、ただ単に人間の労働力の生理学的意味の支出(人間の生理的エネルギーの支出)というだけの労働が、労働の社会的性格(他人のための労働という性格)を表すようになったものを、抽象的労働という。

  抽象的労働は、単に人間の生理的エネルギーの支出としての労働ではない。それならば、生理学的なカテゴリーであって、どんな社会のどんな労働も、全て生理的エネルギーの支出としての側面を持っている。しかし抽象的労働は経済的なカテゴリーであって生理的なカテゴリーではない 生理的エネルギーの支出としての労働は労働の社会的性格(他人のための労働であるという性格)を現している場合にのみ抽象的労働となる。 


 米今回はここまでといたします。抽象的労働と具体的労働はもう一度ここのところを繰り返しながら学習してみたいと思います。次回までお待ちください。


2021年5月1日土曜日

事前に学んでおきたいところ。商品について

 2021年5月1日土曜日天気晴れ


昨日の新聞によりますと,【「夏のボーナスいつから3%減」コロナ長期化続く民間企業のボーナスとは毎月の給与とは別に夏や冬などに支払われる金銭で賞与や1時間とも呼ばれる。

支給額が企業業績に基づき、経営側と労働組合が交渉して決めるケースが多い。基本給や人事評価に応じて配分する企業も。新型コロナウイルス感染拡大を受けて業績が悪化し、大幅な減額や子宮を取り止める企業が相次いでいる。】(山梨日日新聞4月30日1ページ) 

 本題に入る前に、先に学んでおいたら良さそうなところを、予め学習しておきたいと思います。今日は商品についての説明を「マルクス経済事典」から引用して学んでおきたいと思います。


『資本論』の学習

今日は昨日の続きの目次空になります。


第2章 交換価値・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・111

第3章 貨幣または商品流通・・・・・・・・・・・・・・・123

第1節 価値の尺度・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・123

第2節 流通手段・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・126

a 商品の変態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・136

b 貨幣の流通 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・149

c 鋳貨 価値標章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・151

第3節 貨幣・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・168

a 貨幣t退蔵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・168

b支払手段・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・174

c世界貨幣・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・184


第2扁 貨幣の資本への転化・・・・・・・・・・・・・189

第4章 貨幣の資本への転化・・・・・・・・・・・・・・・・189

第1節 資本の一般定式・・・・・・・・・・・・・・・・・・189

第2節 一般形式の矛盾・・・・・・・・・・・・・・・・・・201

第3節 労働力の買い売り・・・・・・・・・・・・・・・・・216


第3扁 絶対的剰余価値の生産・・・・・・・・・・・・・231





   商品(独Ware)

!)社会的分業と私有財産制度との行われる社会では、全ての物質的財貨は別々な互いに独立な無数の私的生産者(生産手段を私有して自分の利益のために生産するもの)によって生産されている。しかもこれらの互いの独立な私的生産者たちは、自分自身にとっては必要でなく、他人にとってのみ必要な物質的財貨を生産している。だからこの社会が存続するためには、全ての生産物はそれぞれ互いに交換されて、それぞれの生産物を必要とする人々の手に渡らなければならない。

 そうして初めて、私的生産者たちの生産物は、その社会的性格 (他人のための生産物であるという性格)を事実上 発揮することができ、彼らの私的労働(自分の利益のためにする労働)は同時に社会的労働(他人のためにする労働)であることが、 実証される。

この社会は、こうゆいう構造を持っているために、全ての生産物は、人間の何らかの欲望を満たすという性格の他に、他の生産物と交換されるという性格を、生産された時から持たざるを得ない。この人間の何らかの欲望を満たすという生産物の性格が使用価値と呼ばれ、 、価値と呼ばれる。

使用価値は人間の何らかの欲望を満たすという性格だから、いろんな社会でも、生産物は全てこれを持っている。

ところが勝ちの方は、社会的分業と生産手段の私有とが行われ、互いに独立が指摘生産者たちが別々の生産物を生産し、それらを互いに交換しあうことによってのみ、生産者たちの生活が維持できるという場合だけ、生産物が持つ性格である。

 すなわち価値はお互いに独立な・直接には、自分の利益のために生産している私的生産者たちが お互いのために労働し合っているという生産関係(労働関係)を、生産物の性格として表したものに、ほかならない 。そして生産物が価値という二つの性格を持つようになると、生産物は商品となる。

Ⅱ)生産手段の私有が行われないで共有が行われていても、自分のものとして自由に処分することができる場合には、生産物は商品となる。 →(商品生産)(単純商品生産)(社会主義的商品生産)(使用価値)(価値){文献 ≪資本論≫ⅠP.170 以下≪経済学批判≫   青木 P,27}

(マルクス経済学事典 宮川実 青木書店1965年6月15日 第1版第一刷発行

1975年4月20日第一版版第12刷発酵 154から155ページ 商品 より引用しています) 


 ここでは、商品には使用価値と価値と言う二面性があることが述べられています。これは『資本論』第一巻 資本の生産過程 第一扁 商品と貨幣、第1章 商品 第2節商品の2要素 使用価値と価値(価値実体、8の 大いさ)のところで学ぶことになります。


注目

『資本論』の学習第234回第3巻資本主義的生産の総過程第1部第5篇利子と企業者利得地への利潤の分割。 利子付き資本第25 章 信用と空資本

  5 資本論第3巻第5篇・第25章「信用と空資本」は、資本主義が高度に発展した段階で現れる** 金融の仕組みと“見かけの資本”**を分析する重要な章です。少し抽象的ですが、現代の株式市場 やバブル経済を理解する鍵にもなります。 ■ 全体のテーマ この章の核心はシンプルに言うと:...

また来てね