第69回DAS KAPITAL 資本論 カール・マルクス 資本論 社会科学研究所 資本論翻訳委員会訳1 新日本出版社 140ページ
三総体的または拡大された価値形態の欠陥
C一般的価値形態
1 価値形態の変化した性格
二 相対的価値形態と等価形態の発展関係
三一般的価値形態から貨幣形態への移行
D 貨幣形態
第四節商品の物神的性格とその秘密
あったアテネおよびローマについては、正しくない、と。まず第一に奇妙なのは、中世と古典古代世界についてのこの世間周知の決まり文句をまだ知らないでいる人があるものと前提して、よろこんでいる人がいるということである。
中世がカトリックによって、古典古代世界が政治によって、生活していくことができなか
ったことだけは、はっきりしている。
それどころか、それらがその暮らしを立てた仕方・様式こそ、なぜ、
古典古代では政治が、中世ではカトリックが主役を演じたかを説明するのである。
さらには、たとえばローマ共和政の歴史をほとんど知らなくても、土地所有の歴史がその裏面史をなしていることくらいはわかる。
他面では、すでにドン・キホーテは、遍歴騎士道が社会のどのような経済的形態とも同じように調和すると妄信した誤りのために、ひどい目にあっているのである。
* [ヴォルテールによって批判の対象とされたライプニッツ『弁神論』に見られる予定調和論の「最善の世界」、「最善の仕組み」が念頭にあると思われる。
本書、第三篇、第五章、第二節中の訳注参照】
商品世界にまつわりついている物神崇拝に、あるいは社会的労働諸規定の対象的外観に、一部の経済学者がどんなにはなはだしくあざむかれているかということは、とりわけ、交換価値の形成における自然の役割についての退屈でばかばかしい論争が示している。
交換価値は、ある物に支出された労働を表現する一定の社会的様式であるから、たとえば為替相場と同じように、それが自然素材を含むことはありえないのである
。
商品形態は、ブルジョア的生産のもっとも一般的なもっとも未発展な形態であるから――だからこそ、商品形態は、こんにちほど支配的な、それゆえ特徴的な様式でではないにしても、早くから登場するのだが――その物神的性格はまだ比較的にたやすく見抜けるように見える。
もっと具体的な形態の場合には、簡単であるという外見さえ消えうせる。重金主義の幻想はどこから来るのか?
重金主義は、金銀を見ても、貨幣としての金銀は一つの社会的生産関係を、しかも奇妙な社会的属性を帯びた自然物という形態で、表示するのだということを見てとることができなかった。
また、お高くとまって重金主義を冷笑している近代の経済学は、それが資本を取り扱うやいなや、その物神崇拝は手に取るように明らかになるではないか?
地代は土地から生じるのであって、社会から生じるのではないという重農主義的幻想が消えてから、どれだけたったであろうか?
しかし、先回りしないために、ここでは商品形態そのものについてのもう一つの例で満足することにしよう。
諸商品がものを言えるとすれば、こう言うであろう。
われわれの使用価値は人間の関心を引くかもしれない。それは物としてのわれわれには属さない。
そうではなくて、われわれに物的に属 しているものは、われわれの価値である。商品物としてのわれわれ自身のつき合いがそのことを証明している。
われわれは、ただ交換価値としてのみ自分たち自身を互いに関連させ合うのだ、と。では、
経済学者が、この商品の魂をどのように伝えるかを聞いてみよう。
「価値」(交換価値) 「は物の属性 であり、富」(使用価値) 「は人間の属性 である。
価値は、この意味では、必然的に交換を含んでいるが、富はそうではない」。「富」(使用価値)「は人間の属性であり、価値は商品の属性である。人間や社会は富んでいる。
真珠やダイヤモンドには価値がある。 •真珠やダイヤモンドは、真珠やダイヤモンドとして価値をもつ」。
(三四)『経済学におけるある種の用語論争の考察。とくに価値および需要供給にかんして』、ロンドン、一八二一年一六ページ 142ページ1行目
たましい