第63回マルクス 資本論 第1巻 向坂逸郎訳 岩波書店の学習 98ページ
三総体的または拡大された価値形態の欠陥
C一般的価値形態
1 価値形態の変化した性格
二 相対的価値形態と等価形態の発展関係
三一般的価値形態から貨幣形態への移行
D 貨幣形態
第四節商品の物神的性格とその秘密
置くのである。彼らはこのことを知らない。しかし、彼らはこれをなすのである。したがって、価値のひたいの上には、それが何であるかということは書かれていない。価値は、むしろあらゆる労働生産物を、社会的の象形文字に転化するのである。
後になって、人間は、彼ら自身の社会的生産物の秘密を探るために、この象形文字の意味を解こうと試みる。
なぜかというに、使用対象の価値としての規定は、言語と同様に彼らの社会的な生産物であるからである。労働生産物が、価値であるかぎり、その生産に支出された人間労働の、単に物的な表現であるという、後の科学的発見は、人類の発展史上に時期を画するものである。
しかし、決して労働の社会的性格の対象的外観を逐い払うものではない。
この特別なる生産形態、すなわち、商品生産にたいしてのみ行なわれているもの、すなわち、相互に独立せる私的労働の特殊的に社会的な性格が、人間労働としてのその等一性にあり、そして労働生産物の価値性格の形態をとるということは、かの發見以前においても以後においても商品生産の諸関係の中に囚われているものにとっては、あたかや空気をその成素に科学的に分解するということが、物理学的物体形態としての空気形態を存続せしめるのを妨げぬと同じように、終局的なものに見えるのである。
(二七) 第二版への注。したがって、ガリアニが、価値は人々の間の関係である。ー„La Ricchezza è una ragione tra due per-sone"ー
といっているとすれば、彼はこう付け加えなければならなかったであろう、すなわち、物的外被の下にかくされた関係と(ガリアニ『貨幣について』二三一ページ、クストディ編『イタリア古典経済学叢書』近代篇、第三巻、ミラ 一八0三年)。
生産物交換者がまず初めに実際上関心をよせるのは、自分の生産物にたいしてどれだけ他人の生産物を得るか、したがって、生産物はいかなる割合で交換されるかという問題である。
このような割合は、ある程度習慣的な固定性
をもつまでに成熟すると同時に、労働生産物の性質から生ずるように見える。したがって、例えば一トンの鉄と二ォンスの金とは、一封度の金と一封度の鉄が、その物理学的化学的属性を異にするにかかわらず同じ重さであるように、同じ価値であることになる。
事実、労働生産物の価値性格は、価値の大いさとしてのその働きによってはじめて固定する。この価値の大いさは、つねに交換者の意志、予見、行為から独立して変化する。
彼ら自身の社会的運動は、彼らにとっては、物の運動の形態をとり、交換者はこの運動を規制するのではなくして、その運動に規制される。
相互に独立して営まれるが、社会的分業の自然発生的構成分子として、あらゆる面において相互に依存している私的労働が、継続的にその社会的に一定の割合をなしている量に整約されるのは、私的労働の生産物の偶然的で、つねに動揺せる交換諸関係において、その生産に社会的に必要なる労働時間が、規制的な自然法則として強力的に貫かれること、
あたから家が人の頭上に崩れかかるばあいにおける重力の法則のようなものであるからであるが、このことを、経験そのものの中から科学的洞察が成長してきて看破するに至るには、その前に完全に発達した商品生産が必要とされるのである。
労働時間によって価値の大いさが規定されるということは、したがって、相対的商品価値の現象的運動のもとにかくされた秘密である。
その発見は、労働生産物の価値の大いさが、単なる偶然的な規定であるという外観をのぞくが、しかし、少しもその事物的な形態をなくするものではない。
(二八)「周期的な革命によってのみ貫徹されうる法則を何と考えるべきであろうか? それはまさしく一つの自然法則であって、関与者たちの無意識にとづいているあのなのである」(フリードリヒ・エンゲルス『国民経済学批判大綱』、『独仏年誌』
(アーノルト ルーゲおよびカール マルクス編、パリ、一八四四年)、所載[ディーツ版『全集』第一巻、五一五ページ。邦訳、新潮社版『選集』第一巻、一六一ページ])。
人間生活の諸形態にかんする思索、したがってまたその科学的分析は、一般に現実の発展とは対立した途を進む。
このような思索は、post festum(後から)始まり、したがって、発展過程の完成した成果とともに始まる。労働生産物に商品の刻印を捺し、100ページ1行目
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