第68回DAS KAPITAL 資本論 カール・マルクス 資本論 社会科学研究所 資本論翻訳委員会訳1 新日本出版社 138ページ 岩波書店版 106ページ
(新日本版ではどうなっているか。読んでみたい)
三総体的または拡大された価値形態の欠陥
C一般的価値形態
1 価値形態の変化した性格
二 相対的価値形態と等価形態の発展関係
三一般的価値形態から貨幣形態への移行
D 貨幣形態
第四節商品の物神的性格とその秘密
あるいは商品そのものの本性にとって外的なものとして、取り扱っている。その原因は、価値の大きさの分析にすっかり注意を奪われていたというだけではない。それはもっと深いところにある。
労働生産物の価値形態は、ブルジョア的生産様式のもっとも抽象的な、しかしまたもっとも一般的な形態であり、ブルジョア的生産様式はこの形態によって一つの特殊な種類の社会的生産として、それゆえまた同時に歴史的なものとして、性格づけられている。
だから、人がこの生産様式を社会的生産の永遠の自然的形態と見誤るならば、人は必然的に、価値形態の独自性を、それゆえ商品形態の、すすんでは貨幣形態、資本形態等々の独自性を見落とすことになるのである。
だから、労働時間による価値の大きさの測定についてはまったく一致している経済学者たちのあいだに、貨幣、すなわち一般的等価物の完成した姿態、については、きわめて種々雑多な、まったく矛盾した諸見解が見られるのである。
このことは、たとえば、ありふれた貨幣の定義ではもはや間に合わない銀行業の取り扱いにさいしてはっきりと現われてくる。」
それゆえ、反対に、価値のうちに社会的な形態だけを見る、あるいはむしろ実体のない社会的形態の外観だけを見る復活した重商主義(ガニルなど)が生じた。
―ここできっぱりと断わっておくが、私が古典派経済学と言うのは、ブルジョア的生産諸関係の内的連関を探求するW・ペティ以来のすべての経済学をさし、これにたいして俗流経済学と言うのは、外* 見上の連関のなかだけをうろつき回り、
いわばもっとも粗雑な現象のもっともらしい解説とブルジョア的自家需要とのために、科学的経済学によってとうの昔に与えら に材料を絶えずあらためて反芻し、それ以外には、自分たち自身の最善の世界についてのブルジョア的生産当事者たちの平凡でひとりよがりの諸観念を*体系づけ、学問めかし、永遠の真理だと宣言するだけにとどまる経済学をさしている。
(三三)「経済学者たちは奇妙なやり方をする。彼らにとってはただ 二種類の制度 があるだけだ。人為的制度と自然的制度と。封建制の制度は人為的制度であり、ブルジョアジーの制度は自然的制度である。
彼らはこの点では、同じく二つの種類の宗教を区別する神学者たちに似ている。彼らのものでないどの宗教も人間のっくりものであるが、彼ら自身の宗教は神の啓示なのである。
そういうわけで、かつてはとにかく歴史があったが、もうそれは 存在しないのだ」(カール・マルクス『哲学の貧困。プルードン氏の「貧困の 哲学」にたいする返答』、一八四七年、一二三ページ[邦訳『全集』、第四巻、一四三ー一四四ページ)。ここで実にこっけいなのはバスティア氏で、彼は、古代のギリシア人やローマ人はただ略奪だけで生活していたと思い込んでいる
しかし、何世紀にもわたって略奪で生活していくからには、そこには略奪されるべきものが
絶えず存在しなければならない。言い換えれば、略奪の対象が引き続き再生産されていなければならない。
とすれば、ギリシア人やローマ人も一つの生産過程を、したがって一つの経済をもっていて、それが彼らの世界の物質的基礎をなしていたことは、ブルジョア経済がこんにちの世界の物質的基礎をなしていることとまったく同じであるように思われる。
それとも、バスティアは、奴隷労働にもとづく生産様式は略奪体制の上に立っているとでも考えているのだろうか?
そうだとすると、彼はあぶない地盤の上にいることになる。
アリストテレスのような大思想家でさえ奴隷労働の評価で誤ったのに、バスティアのようなちっぽけな経済学者がどうして賃労働の評価をまともにやれるはずがあろうか?
―この機会に、私の著書『経済学批判』(一八五九年)が出たときに、アメリカのあるドイツ語新聞から 私に加えられた異論を 簡単にしりぞけておこう。
この新聞によれば、私の見解、すなわち、一定の生産様式といつでもこれに照応している生産諸関係、要するに、「社会の経済的構造は、法的かつ 政治的上部構造が その上に立ち、一定の社会的意識形態がそれに照応するところの 実在的土台である」ということ、「物質的生活の 生産様式が、社会的、政治的、および精神的生活過程一般を制約する」という私の見解 およそこうした見解は、物質的利害が支配的であるこんにちの世界については確かに正しいが、カトリックが支配的であった中世についてや、政治が支配的であった一四〇ページ一行目