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2021年6月22日火曜日

第27回「資本論」の学習 マルクス『資本論』向坂逸郎訳 岩波書店 英語版への序文30ページ2行目から ころなかと言われている中で、ワクチン接種が全国規模で行われています

 


第27回「資本論」の学習 マルクス『資本論』向坂逸郎訳 岩波書店 英語版への序文30ページ2行目から


ころなかと言われている中で、ワクチン接種が全国規模で行われています。東京都の新型コロナ5人死亡435人感染者がありました3日連続前週曜日を上回りました。このような中で、最低賃金の議論が行われるのですが、この中で企業の経営が心配だと言う議論が優先 されているようです。

 企業の経営を心配するのは、昔からあるいい方です。それより労働者の置かれている状況を考えれば、一円でも多く打ち上げをして、生活に苦しむことがないようにすべきでしょう。まだまだ企業あっての労働者意識というのが、勝っているように思われます。

 これから、企業は守られるでしょうが、労働者は茄子茄子苦しいことになる可能性の方が高そうです。

『資本論] の学習は、今回は少し長めに運用しました。「第4班にの冒頭部分が入っています」 あと3回ほどで自分については終わりたいと考えています。その後の学習方針について 、商品について進めるか 。序文にありましたように、「価値」について先に進めるかということです。



のものであると見る著者たちの慣れている表現とちがった表現を用いざるをえないということは、当然のことである。

著者の引用法について一言するのは、決して不適当ではあるまい。大多数の場合、引用は、本文で提起された主張にたいする文献的証拠という通常の仕方でなされている。しかし、多くのばあいにおいて、経済について書く著者たちから引用される個所は、いつ、どこで、誰によって、一定の見解が最初に明瞭に語られたかということを示すためにちなされているのである。このことは、次のような場合に起こる。すなわち、そこでは引用された見解が、一定の時代に主として存する社会的生産と交換の諸条件を多少と適当に表現するものとして、重要であるのであって、そのばあい、その見解をマルクスが承認するかどうかということ、あるいはその見解が一般的に妥当であるかどうかということは、全く別のことなのである。したがって、これらの引用は、この科学の歴史から得られる標注として本文を補足している。

 われわれの翻訳は、わずかにこの著作の第一巻にあたっているだけである。しかしながら、この第一巻は、高い程度においてそれ自身として全体をなしている。そして二〇年の永きにわたって独立の著作と考えられた。私が1885年にドイツ語で刊行した第二巻は、第三巻なしには決定的に不完全である。第三巻は1887年末以前には公刊できない。もし第三巻がドイツ語原本で刊行されたならば、その時、この両巻の英語版の準備について考慮しても、決して遅くはない。

『資本論』は、大陸ではしばしば「労働者階級の聖書」といわれている。この書で獲られたいろいろの結論が、ドイツやスイスはいうに及ばず、フランス、オランダおよびベルギーにおいても、アメリカにおいても、またイタリアやスペインにおいてさえも、日ごとに次第々々に労働者階級の偉大なる運動の基礎的な原理となっているということ、

どこに行ってる労働者階級がこれらの結論において、次第にその地位と努力のおっと適当な表現を容認していること、このようなことは、この運動を熟知している者の何びとや否定しないところであろう。そしてイギリスにおいても、マルクスの諸理論は、まさにいま、社会主義的運動にたいして強力な影響を与えている。この運動は「知識人」の間において」、労働者階級の間に劣らず普及しつつある。しかし、これで全部だというのではない。イギリスの経済状態の根本的な研究を、不可抗の国民的必要事としてせざるをえない時代が、急速に迫っている。イギリスの産業体制の活動は、生産の、したがって市場の不断の急速な拡大なくしては不可能であるが、いま休止状態にはいろうとしている。自由貿易はその源を潤渇せしめてしまった。 マンチェスターすら、自分のかつてのこの経済的福音に懐疑的となっている。急速に発展する外国の産業は、いたるところで、イギリスの生産にたいして真正面にそびえ立っている。ただに関税で衛られた市場においてだけでなく、中立の市場でる、さらに英仏海峡のこちら側においてさえも。生産力は幾何級数的に増大するのに反して、市場の拡張は、せいぜいで算術級数で進んでいる。1825年から1865年にいたる間つねに繰り返された停滞、繁栄、過剰生産よび恐慌という一〇年の循環は、たしかにそのコースを走り終えたように思われる。その結果は、ついにわれわれを、継続的で慢性的な不況という絶望の泥沼にもっていってしまったのだ。好景気という待ちこがれた時期はこないだろう。われわれはあんなにもしばしば好景気を予告する徴候を見たと信じた。しかし、あのようにしばしばそれは空しく消え去った。その間、くる冬るくる冬新たに問題が繰り返された、「失業者をどうする?」と。しかし、一方失業者の数が年々増大しているのに、この問題に答えうる人は一人もいない。そしてわれわれは、失業者たちが我慢しきれなくなり、その運命を自分の手で決定する時点を、

算定することができるようだといってもよい。この瞬間においてこそ、確かに一人の人の声を聞くであろう。その人の全理論は、イギリスの経済史と経済的状態の研究に、全生涯をかけた成果であり、またこの研究は、彼を次の結論に導いていったのである。すなわち、少なくとやヨーロッパにおいては、イギリスが全く、平和的な合法的な手段をもって、不可避的な社会革命を遂行しうる唯一の国であるということである。ちちろん彼は、次のように付け加えるのを決して忘れなかった。自分はイギリスの支配階級が「奴隷制擁護の反逆」(proslavery rebellion“)$しないで、この平和的合法的革命を甘受するであろうとは期待しないと。

 (二) 今日午後に催されたマンチェスター の商業会議所の四半期集会に際して、自由貿易問題にかんする活発   な討論が行なわれた。次のような趣旨の決議が提出された。すなわち、「他の諸国民がイギリスの自 只   易の例に倣うであろうということを、四0年待って無駄であった。そして、会議所はいまやこの立場を   変更すべき時がきていると考える」というのである。決議はわずかに一票の多数をぬって否決された。   投票数は賛成二一、反対二二であった(『イヴニング・スタンダード』1886年一月一日)。

                        1886年一月五日

                          フリードリヒ・エンゲルス



      第4班に

第四版を出すについて、私のしなければならぬことは、本文ならびに脚注をできるだけ最後的に確定することであった。この要請にたいして私がどの程度に従ったかについては、簡単にいえば次の通りである。すなわち、

 私は、フランス語版とマルクスが自分で書いておいた覚書を、いま一度比較したのち、前者からなお若干の補足をドイツ語本文に採用した。それは、八〇ページ (第三版八八ページ)、四五八―四六〇ページ(第三版五〇九一五一〇ページ)、五四七一五五一ページ (第三版六00ページ)、五九一一五九三ページ (第三版六四四ページ)、および五九六ページ (第三版六四八ページ)注七九等に見られるのである。同じく私は、フランス語版と英語版の先例にしたがって鉱山労働者にかんする長い注(第三版五〇九五一五ページ)を本文に入れた(第四版四六一四六七ページ[ディーツ版、五一九一五二五ページ。向坂訳、六二二―六三一ページ])。その他の小さな変更は、純粋に技術的な性質のものである。


 ※この版ではこれらの個所は、一三〇、五一七一五一九、六一〇一六一三、六五五十六五七、六六〇の諸ページにある。

ディーツ版編集者〔向坂訳ではこれらの個所はそれぞれ、第一巻、一五一一一五二ページ、六一九一六二二ページ、七三二ー七

三六ページ、七八七十七九○ページ、七九二七九三ページに当たる。 …訳者]。


さらに、私はなお若干の説明的な補足注を加えた。とくに、それは歴史的諸事情が変化して、このことを必要とするように見える個所である。すべてこれらの補足注は角カッコに入れておいた。そして私の頭文字または『D・H』【編集者」という印をつけておいた。         33ページ最終行まで

*


2021年6月20日日曜日

第26回  『資本論』の学習  マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店 「日本には生理用品を買えない子が二割いる」日本の状態

 


第26回  『資本論』の学習  マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店

「日本には生理用品を買えない子が二割いる」日本の状態



 学習に入る前に、前回6月13日 に学習しました。今回は6月20日となり、約一週間の時間が経過してしまいました。 時間はかかるのは仕方ないことです。それでもあまりに停滞してしまうと、今までのことを忘れてしまうのは、良くないのです。

 何度も前に戻り、同じところを繰り返してしまうことになりますす。


ここで社会情勢を取り入れてみたいです。日本の貧困は労働者だけではなく学生にも、子供日も及んでいる。

「日本には生理用品を買えない子が二割いる」。今年三月、国会の質疑で、金銭的な理由で生理用品を購入できない学生が五人に一人に上るとのアンケート結果が相次いで取り上げられた。調査した任意団体「#みんなの生理」代表は二十三歳の谷口歩実さん。大学生だった二〇一九年ごろからこの問題に着目、大学の仲間と改善を求める活動を続けてきた。

(.https://www.chunichi.co.jp/ 中日新聞社)




28ページ1行目から


二、第六篇(「労働賃金」、第一九章|第二二章を含む)。三、第二四章のうち第四節(.……する諸事情」)から本巻の終わりまで、第二四章の最後の部分、第二五章および第八篇の全部(第二六章から三三章まで)を含んでいる。四、著者の二つの序文。本巻中の残余全部がムア氏の手になった。このようにして、各翻訳者は、自分の参加した翻訳にたいしてのみ責任を4つわけであるが、私は全篇にたいして総責任をとる。


※英語版の章別は、フラランス語版のそれによっている。マルクスは、フラ ^語版で第四章の諸節(これは同時に第二篇をなす)を章にしてしまった。第二四章を第八篇にし、この章の各節を章に変えた。 アドラッキー版編集者。


われわれの翻訳の底本として、ずっと用いたドイツ語第三版は、1883年私が著者の遺した覚書のたすけを借りて作成したのである。この覚書によると、第二版のいくつかの個所を、1883年に公刊されたフランス語版本文に印をつけた個所と置き換えるということが指示されている。だから、第二版の本文中に生じた変更は、たいていマルクスが英訳のための指示として書いておいたものの中に示された変更と一致している。この英訳は、10年前アメリカで企てられたものであるが、主として有能で適当な翻訳者がなかったために中止されたのである。この草稿はわれわれの旧友であるニュー・ジャーシ 1 のホボーケンにあるF・A・ゾルゲ君からわれわれのもとに提供された。この草稿には、なおさらにフランス語版から若干の插入をするように書いてある。しかし、それは第三版にたいする

最後の指示より幾年か旧いのであるから、私はこれを用いるのを適当だとは考えなかった。ただ例外的におよびとくにそれによって障害を突破しうるような場合に用いるだけにした。同様に、フランス語版本文は、多くの困難な個所で参照された。それは、常に原文の意味全体の中から多少翻訳で犠牲にしなければならなかったようなとき、著者自身が何を犠牲にしてかまわないと考えたかのよりどころとなったのである。

(1) Le Capital. Par Karl Marx,“M・J・ロア訳、著者の校閲ずみ。パリ、ラシャー トル。 この翻訳は、とくに第一巻の最後の部分において、ドイツ語第二版の本文にたいする著しい変更と補足とを含んでいる。


それでも、われわれが読者のために除くことのきなかった一つの困難がある。すなわち、日常生活の語法とちがっているだけでなく、通常の経済学のそれともちがっている意味に、ある種の表現が利用されていることである。だが、これは避けえないのであった。ある科学の新たなる見解は、すべて、この科学の専門用語における革命を内包している。このことをもっともよく証明するのは、化学である。ここでは全用語が約20年ごとに根本的に変わっている。またここでは有機的化合物で、きわめて多くのちがった名称を経てこなかったゆのはないといってよい。経済学は、一般に商業生活や工業生活の言葉をあるがままに用い、またこれで操作することに満足した。この場合、経済学は、このようにすることによって、これらの言葉で表わされる思想のせまい限界内にとどまってしまうようになるということを、まったく看過していた。だから、古典派経済学すら、利潤や地代め、かの生産物の不払い部分の細分であり、一片にすぎやるのであって、労働者がこれをその企業家(その最後の専有的所有者ではないが、その最初の取得者である)に供与しなければならぬものであるということを、完全に知ってはいたが、少し利潤と地代の普通の概念を超えなかった。だから古典派経済学は、一度生産物のこの不払い部分(マルクスは剰余生産物と名づけている)

を、総体において、全的なものとしては研究しなかった。またそのために、その発生や性質についても、その価値の補足的分配を規制する諸法則についてる、かつて明瞭な理解に到達することがなかった。同様に一切の産業は、農業でや手工業でもないかぎりは、無差別にマニュファクチャという表現で総括される。このために、経済史の2っの大きな本質的にちがった期間の間の区別はなくなってしまう。すなわち、一は本来のマニュファクチャの期間であって、手工労働による分業にもとづくものであり、二は近代的工業の期間であって、それは機械装置によるものなのである。だが、近代資本主義的生産を人類の経済史上の単なる発展段階と見る理論が、この生産様式を恒久的で最後二、第六篇(「労働賃金」、第一九章|第二二章を含む)。三、第二四章のうち第四節(.……する諸事情」)か

ら本巻の終わりまで、第二四章の最後の部分、第二五章および第八篇の全部(第二六章から三三章まで)を含んでいる。

四、著者の二つの序文。本巻中の残余全部がムア氏の手になった。このようにして、各翻訳者は、自分の参加した翻

訳にたいしてのみ責任を4つわけであるが、私は全篇にたいして総責任をとる。

英語版の章別は、フラランス語版のそれによっている。マルクスは、フラ ^語版で第四章の諸節(これは同時に第二篇をなす)を章にしてしまった。第二四章を第八篇にし、この章の各節を章に変えた。 アドラッキー版編集者。


われわれの翻訳の底本として、ずっと用いたドイツ語第三版は、一八八三年私が著者の遺した覚書のたすけを借りて作成したのである。この覚書によると、第二版のいくつかの個所を、一八七三年に公刊されたフランス語版本文に印をつけた個所と置き換えるということが指示されている。だから、第二版の本文中に生じた変更は、たいていマルクスが英訳のための指示として書いておいたものの中に示された変更と一致している。この英訳は、一〇年前アメリカで企てられたものであるが、主として有能で適当な翻訳者がなかったために中止されたのである。この草稿はわれわれの旧友であるニュー・ジャーシ 1 のホボーケンにあるF・A・ゾルゲ君からわれわれのもとに提供された。この草稿には、なおさらにフランス語版から若干の插入をするように書いてある。しかし、それは第三版にたいする最後の指示より幾年か旧いのであるから、私はこれを用いるのを適当だとは考えなかった。ただ例外的におよびとくにそれによって障害を突破しうるような場合に用いるだけにした。同様に、フランス語版本文は、多くの困難な個所で参照された。それは、常に原文の意味全体の中から多少翻訳で犠牲にしなければならなかったようなとき、著者自身が何を犠牲にしてかまわないと考えたかのよりどころとなったのである。


(1) Le Capital. Par Karl Marx,“M・J・ロア訳、著者の校閲ずみ。パリ、ラシャー トル。 この翻訳は、とくに第一巻の最後の部分において、ドイツ語第二版の本文にたいする著しい変更と補足とを含んでいる。


それでも、われわれが読者のために除くことのきなかった一つの困難がある。すなわち、日常生活の語法とちがっているだけでなく、通常の経済学のそれともちがっている意味に、ある種の表現が利用されていることである。だが、これは避けえないのであった。ある科学の新たなる見解は、すべて、この科学の専門用語における革命を内包している。このことをもっとちよく証明するのは、化学である。ここでは全用語が約二〇年ごとに根本的に変わっている。またここでは有機的化合物で、きわめて多くのちがった名称を経てこなかったゆのはないといってよい。経済学は、一般に商業生活や工業生活の言葉をあるがままに用い、またこれで操作することに満足した。この場合、経済学は、このようにすることによって、これらの言葉で表わされる思想のせまい限界内にとどまってしまうようになるということを、まったく看過していた。だから、古典派経済学すら、利潤や地代め、かの生産物の不払い部分の細分であり、一片にすぎやるのであって、労働者がこれをその企業家(その最後の専有的所有者ではないが、その最初の取得者である)に供与しなければならぬものであるということを、完全に知ってはいたが、少し利潤と地代の普通の概念を超えなかった。だから古典派経済学は、一度生産物のこの不払い部分(マルクスは剰余生産物と名づけている)を、総体において、全的なものとしては研究しなかった。またそのために、その発生や性質についても、その価値の補足的分配を規制する諸法則についてる、かつて明瞭な理解に到達することがなかった。同様に一切の産業は、農業でや手工業でもないかぎりは、無差別にマニュファクチャという表現で総括される。このために、経済史の二つの大きな本質的にちがった期間の間の区別はなくなってしまう。すなわち、一は本来のマニュファクチャの期間であって、手工労働による分業にもとづくものであり、二は近代的工業の期間であって、それは機械装置によるものなのである。だが、近代資本主義的生産を人類の経済史上の単なる発展段階と見る理論が、この生産様式を恒久的で最後のものであると見る著者たちの慣れている表現とちがっ多表現っを用いざるをえないということは、当然のことである。

30ページ1行目


2021年6月13日日曜日

第25回『資本論』の学習 マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店27ページ 英語版への序文 変革の時代と『資本論』マルクスのすすめ『経済』編集部編 新日本出版社 35ページ25行目から

 第25回『資本論』の学習 マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店27ページ

英語版への序文

変革の時代と『資本論』マルクスのすすめ『経済』編集部編 新日本出版社 35ページ25行目から



英語版の序文

ようご

『資本論』の英語版を出すについて、あらためて理由を述べる必要はない。反対に、数年来、この書に主張されている理論が、定期刊行物や時事文献の中で、イギリスでおアメリカでめ絶えず論ぜられ、攻撃され擁護され、説明され誤解されてきたのであるのを見れば、なぜこの英語版が、今日までのびのびになったかということこそ、説明が求められてしかるべきであろう。


  1883年、著者の死後まもなく、この著の英語版が実際に必要だということが明らかにされたとき、マルクスやこの文の筆者の永年の友人であって、おそらく他の何びとよりもこの書自身に精通しているサミュエル。ムア氏は、この翻訳を引き受ける用意のあることを述べた。そしてこの翻訳を公けにすることは、マルクスの遺言執行者たちの切に望んでいたところであった。


 次のように結着した。私は草稿を原本と比較して、私が適当と考えるような変更を提案するというのである。ムア氏の本職の方の仕事に妨げられて、われわれすべてが希望していたように早くこの翻訳を了れないということが、次第にわかってきたとき、われわれは、仕事の一部を担当しようというドクター・エイヴリングの申し出を喜んで受けた。同時に、マルクスの末娘のエイヴリング夫人は、引用を照合し、多数のイギリスの著者や青書からとって、マルクス自身でドイツ語に翻訳した個所の原文を、復元しようと申し出られた。このことは、若干のやむをえない例外を別として、通して行なわれた。


 本巻の次の部分はドクター・エイヴリングの翻訳になる。一、第一〇章(「労働時間」)および第一一章(「剰余価値の`率と量」)    28ページ1行目まで 



変革の時代と『資本論』マルクスのすすめ『経済』編集部編 新日本出版社

35ページ(3)叙述の後方に注意して最初の章を読む


弁証法的唯物論を適用した『資本論』の叙述の方法、言い換えれば経済学の理論の展開方法は、多くの研究者によって「上向法」と呼ばれています。


 「上 向法」とは、理論上、資本主義社会の生産関係を組み立てている経済学の諸概 念または諸範時 (商品、貨幣、資本、利潤、利子、地代、など)のうち、その基礎にあるもっとも抽象的な概念から順次により具体的な概念(より抽象 の度合いが低い概念)へと、ちょうど山の麓から頂に向かって一歩一歩上に登 っていくように,経済学の理論を展開していく(叙述していく)という方法です。

 

『資本論』第一部についてみると、資本という概念を明らかにするには、 

り抽象的な貨幣という概念を明らかにしなくてはならないし、貨幣という概念 

を明らかにするためには、より抽象的な商品という概念を明らかにしなくては 

なりません。

 実際に、資本は貨幣の存在を前提として生まれたものですし、貨幣は商品の存在を前提として生まれたものだからです。この「上向法」によっ て、「資本論』の叙述は、資本主義社会の生産関係という山の基盤をなしている「もっとも抽象的な概念」である商品からはじまって、商品→貨幣(貨幣である商品→資本(剰余価値を生む貨幣)→資本の蓄積 (剰余価値の資本への転化)という順序で進められるのです。

『資本論』を正確に学ぶためには、『資本論』がこのような「上向法」によって叙述されていることによく注意しておか なくてはなりません。

 

ところで、マルクスは、『資本論』第一部の「序言(初版への」」で、「すべて最初が困難である」というドイツの諺は 「どの科学にも当てはまる」と言って、「上向法」によって叙述されている「資本論』すなわち「商品 章)」のところが ・貨幣論(第1篇)」のところ、も、その「最初」のところ、 とりわけその「商品論(第1章)」のところが、「もっとも困難である」と言っています。

 では、なぜ困難なのでしょう。それは、商品が資本主義社会の「経済的細胞」だからです。 

人間の身体の構造や運動を理解するのには、まず身体を形成している細胞 (何億という細胞のーつ)の正体を明らかにしなくてはなりません。



 しかし、人間 の運動を観察したり、分析するよりも、直接には見えない、動かない細胞を、顕微鏡や試薬を使って分析することの方が、退屈であり、骨が折れまそれとおなじように、資本主義社会の「経済的細胞」といわれる商品を取りだしてきて、分析し、その商品の価値という肉眼では見えないものを捉えることは、退屈であり 、骨が折れます。

しかも、商品を分析しその商品の価値を捉えるのには、顕微鏡や試薬はものの役に立たず、人間の頭脳の抽象力(研究対象であるものの正体〔本質〕を取りだしてくる頭脳の力)を使わなくてはならないので、大変に骨が折れます。


 しかし、細胞の正体を理解したときに、人間の身体の構造と運動を根本から解明する糸口がつかめるのとおなじように、商品の正体を理解したときに、資本主義社会の経済的構造と経済的運動を根本から解明する糸口がつかめるのです。

 

こういうわけで、『資本論」をはじめて読む人は、商品を分析した第1章を

非常に難しく思い、一度読んだくらいでは十分に理解できないかも知れませ

ん 。


 しかし、マルクスもこの「最初の章」は「もっとも困難」と言っているわ

けですから、それはむしろ当然なのです。ですから、さきほどのマルクスの注

意を「座右の銘」として、『資本論』という巨峰を登るのには、その登山口の

ところに「商品論」という最も険しい岩壁があるのだと覚悟して、「頭脳の抽

象力」をよく磨いて使いながら、十分に時間をかけて読むことが大切です。


こうして、「商品・貨幣論」という岩壁を登ると、後は坂道の傾斜も緩くなり、

理論の展開方法は、多くの研究者によって「上向法」と呼ばれています。


「上向法」とは、理論上、資本主義社会の生産関係を組み立てている経済学の諸概

念または諸範疇(商品、貨幣、資本、賃金、利潤、利子、地代、など)のうち、その基礎にあるもっとも抽象的な概念から順次により具体的な概念(より抽象の度合いが低い概念)へと、ちょうど山の麓から頂に向かって一歩一歩上に登っていくように、経済学の理論を展開していく(叙述していく)という方法です。


『資本論』第一部についてみると、資本という概念を明らかにするには、よ

り抽象的な貨幣という概念を明らかにしなくてはならないし、貨幣という概念

を明らかにするためには、より抽象的な商品という概念を明らかにしなくては

なりません。


 実際に、資本は貨幣の存在を前提として生まれたものですし、貨幣は商品の存在を前提として生まれたものだからです。この「上向法」によって、『資本論」の叙述は、資本主義社会の生産関係という山の基盤をなしている「もっとも抽象的な概念」である商品からはじまって、商品→貨幣(貨幣である商品) →資本(剰余価値を生む貨幣)→資本の蓄積(剰余価値の資本への転化)という順序で進められるのです。







足も山道になじんできて、『資本論」という山の景色も一歩一歩と見えてくる

のです。

(4) ) 全体の構成と各篇・章・節の位置をつかむ

④『資本論』の各篇・各章・各節の理論的に抽象的な性格を理解し、『資

本論』の全体の構成における各篇・各章・各節の位置と理論的なつながりを

つねにはっきりさせながら読め。

『資本論」は、「上向法」という「叙述の方法」によって、抽象的な概念から

より具体的な概念へと順次に理論的な分析を進めていきます。したがって、各

篇・各章・各節は、それぞれ前の箇所より具体的で後の箇所より抽象的である

という理論的に抽象的な性格をもっています。

たとえば、第一部第1篇の「貨幣論」での貨幣は貨幣となった金という商

品であり、それをもとに発行される国家紙幣です。したがって、「貨幣論」で、

いきなり現代の通貨である不換銀行券を取り上げるというわけにはいきませ

ん。しかし、まず「貨幣論」を理解し、それを理論的基礎としたうえでなけれ

37ページ30行目まで



2021年6月11日金曜日

第24回『資本論』 の学習  マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店

 第24回『資本論』 の学習  マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店

24ページ4行目から 

 第3版に・・・の2回目です。今回でここは読み終わることになります。



文体についていえば、マルクスはいくつかの章節を、みずから根本的に訂正していた。そして私はこの訂正によって、またしばしば彼の口づての示唆もあって、英語の専門用語やその他の英語的語法など、どの程度に改むべきかについて標準が分るようになっていた。追加と補足とにたいしても、マルクスは多かれ少なかれなお加筆したであろう。


そして滑かなフランス語を彼自身の逞しいドイツ語に置き換えたであろう。私はこれらの追加と補足とを、原文にできるだけ沿って翻訳することで満足するほかなかった。


したがってこの第三版では、私が、著者自身改訂したであろうということをはっきりと知らない言葉は、一語といえどや変更されなかった。私はドイツの経済学者が好んで用いる表現で一般に行なわれている通語を、『資本論』の中に插入しょうなどとは、考えてめみなかった。 


あの訳の分らぬ言葉のことだが、この言葉では、例えば、現金を支払って他人から労働を受ける者が労働の与え主といわれ、労働の受け主というのは、自分の労働を賃金に代えて与え

る者のことである。


フランス語で日常の生活では、労働(travail) が「仕事」(Beschäftigung) の意味に用いられる。

しかしながら、資本家を労働の与え主(donneur de travail)といい、労働者を労働の受け主(receveur de travail)と名づける経済学者があるとすれば、フランス人がこれを狂人と考えたとしても、当然のことであろう。

              

 原文でずっと用いられているイギリスの貨幣や度量衡を、新ドイツの等量に換算することをま、私に許されているとは考えない。第一版が公刊されたとき、ドイツには度量衡の種類が三六五日の数ほどに沢山あった。


その上に、二種のマルクがあり(ライヒスマルクは、当時ゼートベールの頭の中で通用していただけで、彼はこれを三〇年代の終わ

ダス・ノイエ・ツヴァイドウリッテルりころに思いついていた)、二種のグルデンがあり、少なくとも三種のターレルがあって、そのうちの一つのターレル

は単位が「新三分の二貨」であった。自然科学ではメートル法が支配的であった。世界市場ではイギリスの度量衡が行なわれていた。


このような事情のもとでは、イギリスの尺度単位を用いることは、その事実上の拠りどころ

をほとんどめっぱらイギリスの産業関係から得てくるほかなかった一書にとっては、当然のことである。そしてこの最後の理由は今日なお決定的である。


それはかりでなく、世界市場のそれぞれの諸関係がなおほとんど変化していず、とくに主要な産業―鉄と綿花にとって、イギリスの度量衡が、なお今日ほとんどもっぱら行なわれているのだから。


 最後に、なお一言あまり理解されていないマルクスの引用の仕方について語りたい。純粋に事実上の報告や記述では、たとえばイギリスの青書からの引用は、当然のことだが、単純な典拠として用いられている。


しかし、他の経済学者の理論的な意見が引用されているところではちがってくる。このばあいには引用は、どこで、いっ、そして誰が、論述の中に現われてくる経済思想を最初に明瞭に語ったかということを、確定するだけにとどめようとしているのである。

 

 そのばあい重要なの は次のことである、すなわち、問題となっている経済上の観念がこの学問の歴史にとって重大であるということ、その観念がその時代の経済状態の多少とも妥当な理論的表現であるということである。


 だが、この観念が、著者の立場にとってなお絶対的または相対的の妥当性をもっているかどうか、あるいはそれがすでに全く歴史上 ものになっているかどうかというようなことは、ぜんぜん問題となっていないのである。


 したがって、これらの引用は、本文にたいしてただ経済学の歴史からとってきた標注の役をしている。そして経済的理論の比較的重要な進歩をいちいち、時日と創始者とについて確定していくのである。


 そしてこのことは、その歴史を書く者が、今日まで偏頗で、ほとんど出世のためにするといってもいいような際立った無知しか示しえない一つの科学においては、極めて必要であったーそれで、なぜマルクスが、第2版のあとがきで同じことを述べているが、ドイツの経済学者を例外的に引用するに過ぎなかったのかも、納得してもらえたのであろう。

 第2巻は出来れば1884年のうちに刊行できるようにしたいものである。

                  ロンドン 1883年11月7日

                  フリードリヒ・エンゲルス

                  26ページ5行目まで


2021年6月8日火曜日

第23回『資本論』の学習 マルクス『資本論』 第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店 23ページ 第3版に 変革の時代と『資本論』マルクスのすすめ 『経済』編集部編 新日本出版社 34ページ(2)『賃労働と資本』、『賃金・価格・利潤』の勧め

第23回『資本論』の学習 マルクス『資本論』 第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店

23ページ 第3版に


変革の時代と『資本論』マルクスのすすめ 『経済』編集部編 新日本出版社 34ページ(2)『賃労働と資本』、『賃金・価格・利潤』の勧め



 この第3版を自分の手で印刷できるまでにすることは、 マルクスには許されなかった。この偉大さの前に、今では反対者すら頭を垂れている巨人のような思想家は、1883年3月14日に死んだ。

 私は彼の死と共に、40年間の最良の終わりなき心の友、また言葉で尽くせないほどに負うところの多き友を失った。今や私には、この第3番並びに手稿として残されている第2巻の刊行をなすべき義務が、落ちてきた。この義務の第一のブルーをどのように果たすかについて、ここに読者に弁明しておかなければならない。

 マルクスは、最初第一巻の本文を大部分改訂して、多くの理論的な点を最もはっきりと述べ、新しい論点を加えて、歴史的な材料や統計的な材料を最近の時代に至るまで細くしようと目論見をもっていた。彼の病状は第2巻の完稿を作成しようという止まらぬ気持ちとが、このことを阻んだ。そのためにただどうしても必要なところだけ改訂し 、その間に刊行されたフランス語版(”Ie Capital.pur karx Marx “, Paris, Lachatre ,1873)既に含まれている補足だけ加えるということにしたようである.

 遺構中には、ドイツ語版の一本もあって、これを彼は所々改訂し、カツフランス語版を参照するように指示している。同じフランス語版が一冊あって、その中で彼は、利用すべき箇所に正確に印をつけていた。こちらの変更と追加とは、 僅少の例外はあるが、この巻の最後部分である、資本の蓄積過程という扁に限られている。この扁では、それより前の方の諸編がより徹底的に筆を加えられているのに、従来の本文は、他の箇所よりも多く最初の草庵によっていた 。従って、文体はより生き生きとしており、よりよく渾成している。しかしまたより粗略になっており、英語の語法を交えており、ところによっては不明瞭である。論述のそこここに欠落があって、若干の重要な要旨が示唆されているだけに止まっていた 。


今回『資本論』は、ここまでとなります 。900文字以内の引用なので、このくらいなら読み続けることもできるでしょう。第一の目標は「読破」にありますので、 根気よく、読み続ける読み続ける精神力が求められます。求められます 。内容的には、特に難しい ところもないので 、読んでそのまま理解すれば良いかと思います。

次に移ります。



変革の時代と『資本論』マルクスのすすめ 『経済』編集部編 新日本出版社 34ページ(2)『賃労働と資本』、『賃金・価格・利潤』の勧め

②『賃労働と資本』及び『賃金・価格・利潤』はマルクス自身が書いた『資本論』への最良の入門書である。

 『資本論』は、科学的に高度に厳密な叙述の仕方に貫かれた長大な理論的体系をなしている経済学の本ですから『資本論』を学ぶことは、マルクスも指摘したように、壮大で美しいが大変に険しい巨峰に登るようなものだと言わます。ですから、険しい山に登るには体力を養う準備体操がいるように、『資本論』を読むにあたっては、まず『資本論』絵の入門書を読んでおくことが有益です。そうして幸いなことにはマルクス自身が書いた『シフォンの家の最良の入門入門書が2冊あります。『賃労働と資本』および『賃金・価格・利潤』が、それです。 

 『賃労働と資本』、元々は1847年にマルクスがドイツ人労働者協会で行った経済学の講義で、1849年に「新ライン新聞」に連載されたものです。マルクスの死後エンゲルスは、1891年に『資本論』に結実したその後のマルクスの経済学研究の成果に基づいて『賃労働と資本』の改訂版を編集し、出版しました。この改訂版について、エンゲルスは、その「前書き」で、「これはマルクスが1849年に書いたままのパンフレットではなくて、おおよそ彼が1891年にはこう書いただろうと思われるパンフレットである」と述べています。『賃労働と資本』の特徴は「経済学の動く初歩的な概念も持ち合わせない読者に分かってもらう」ために、できるだけ親しみやすい平易な叙述をもって、マルクスが後に「資本論』第一部で展開した「労働価値論」「剰余価値論」「資本蓄積論」などからなる理論体系の要旨をわずか数十ページのパンフレットに圧縮している点です。この特徴ゆえに『賃労働と資本』は現在に至るまで、これに勝るものはない経済学の初級のテキストであり「資本論」家の入門書であると言えます、

『賃金・価格・利潤』 は、1865年にマルクスが第一インターナショナル(国際労働者協会)で行った講演の手稿を原本として、1898年にマルクスの末娘えりなによって編集され、出版された本です。

『賃金・価格・利潤』は、当時「賃上げ闘争無益論」「労働組合無用論」 を唱えていたウエストンの見解を的確に批判し、農道・革命運動の進むべき指針を示すとともに、それを理論的に裏付けるために、後に出版された『資本論』の(第3部にまで及ぶ)理論体系の要点を「先取り」して、わずか数十ページの中に「圧縮」下本であり、しかもその理論的な内容を経済学を初めて学ぶ労働者や学生にもわかるように「比較的一般向けの形で」述べた本です。

以上のように『賃労働と資本』及び『賃金・価格・利潤』は、マルクス自身によって書かれた『資本論』への最良の入門書であり、これから始めて 『資本論』を読もうという人は、まずこの2冊を読んで、『資本論』という巨峰に登るための頭の準備体操、体力作りをしておくことをお勧めします。

 なお『賃労働と資本』及び『賃金・価格・利潤』最新の解説のついた日本語のは訳本、新日本出版から刊行されている「科学的社会主義の古典選書」のもの、および大月書店から刊行されている 「マルクス・フォー・ビギナー」のものです。 35ページ23行目まで 


 第23回「資本論』の学習は、今回はここまでとなります。『賃労働と資本』、『賃金・価格・利潤』の学習も合わせて行うようにしましょう。 

 読む前から「難しい」と諦めてしまわないことが大切です。1日1行でも、1ページでも読み進めること、分からないことは、深く調べること。 


 

2021年6月5日土曜日

第22回「資本論』の学習 マルクス「資本論』第一巻 向坂逸郎訳 21ページ 読者に与う

 第22回「資本論』の学習 マルクス「資本論』第一巻 向坂逸郎訳

21ページ 読者に与う


  J・ ロア氏氏は、」できるだけ正確で言葉通りと言ってもいいほどの翻訳を供しようと企てらた。主はその課題を過ぎるほど綿密に果たされた。ところがまさにこのすぎるほどの綿密さのために、私は、読者にわかりやすいように、字句を変えなければならなくなった。この本が分冊で刊行されたために、毎日毎日続けたこれらの変更は、いつも同じ周到さで行わな言われたわけではなかった。そのために文体の不統一をきたすということになってしまった。

 私がひとたびこの海底の仕事を引き受けるようになってからは、私はこの海底を、台本にした原本(ドイツ語第2版)にも加えるようになってしまった。すなわち、若干の論述を簡単にし、たのそれを安全にし、姑息的な歴史的または統計的な材料を加えたり、評語を付け加えたり、いろいろのことをやるに至った。このフランス語版にどんな文章上の欠陥があるにしても、この版は 、原本とは独立した一つの科学的な価値を持っている。そしてドイツ語のできる読者にすら、手許においてもらいたいものとなった。

 私は、さらにいかにドイツ語版第2版のあとがきの一説を掲げておく、これはドイツにおける経済の発達とこの著作で適用された方法を音に関するものである〔ディーツ版、19-28ページ。向坂訳、8ー18ページ〕

                            1875年4月28日

 

                        ロンドン カール・マルクス 


変革の時代と「資本論』マルクスのすすめ 「経済』編集部扁 33ページ21行目から

2『資本論』魚学ぶ五つの心得 (1)自らの頭脳を鍛えつつ学ぶ【前回33ページ20行目まで進みました】

 このマルクスの指摘から伺えるように『資本論』の特徴は、まずそれが「ひとつの芸術的全体」と言われるように長大な理論的体系をなしていて、しかも「叙述の仕方そのものによって凡俗な武装を解除する」と言われるように、弁証法的唯物論という自然と社会及び人間の思考についての科学的なものの見方を縦横に駆使した、科学的に高度に厳密に叙述の仕方に貫かれていることです。

 ですから、その 有名さに惹かれて何気なく手にしてみたくらいの気構えでは、すぐに顎を出してしまい、読みきれないのはむしろ当然なのです。つまり、『資本論』を読破し、理解するには、まず「科学としての経済学」魚自らの頭脳を鍛えつつ学び身につけるのだ、そのためにはどんな苦労も厭わないぞという覚悟を持って、「読破と消化のために時間を要する」と言われる尿に相当の長い時間を確保して精読する。理解できるまでは繰り返してでも読むことが必要です。

 こういうわけで、マルクスは『資本論』第一部の「フランス語版への序言とあとがき」で、「いつでも結論を焦るフランスの読者層」が「読み続けるのが嫌になりはしないか」と心配して、あらかじめ次のように注意を与えました。

 「学問にとって平坦な大道はありません。労苦を恐れない人々だけが、その輝く頂上にたどり着く幸運に恵まれるのです」と。このマルクスの注意は『資本論』魚を学ぶにあたって文字通り「座右の銘」として、各人の胸に刻み込んでおくのに値するものです。 34ページ9行目まで 


 今回は、間が五日間ほど空きましたので、内容を忘れていることもあります、第一巻の方は、それほど問題なく読めるところです。文章が短く難しいところもありませんでした。 変革の時代と『資本論』の方は「座右の銘」がまた登場します。

 フランス人というのは、結論を急ぐ、短期的な性格ということになるのでしょう?ここは日本人の国民のキスと比べると、大きな差があると思います。日本人について詳しく分析したわけではないのですが、まるで違う人間性があるということは確かでしょう。

 それは、昔に言えたことで、現代のインターネットの二台で同じことが言えるかというと分かりにくいところもあります。 

 これから学習しようとする人にも「読破」を目標に取り組んでいただければと思うところです。まだ第1章にも入っていないのでこれから学習する人は、是非参加していただければと願います。 


2021年5月30日日曜日

第21回『資本論』の学習 マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 フランス語版に対する序文とあとがき

 第21回『資本論』の学習 マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳

フランス語版に対する序文とあとがき


ロンドン1872年3月18日

モーリス・ら・シャートル殿

拝啓

『資本論』の翻訳を、定期的な分冊で刊行しようと言うあなたのお考えに私は賛成です。この形で出せば、この著作も、労働者階級に最も近づきやすいものとなりましょう。この点が私にとっては、他の一切のことよりも大事です。

 このことは、あなたのメダルの美しい方の側面です。だがこの場合その反面もあります。すなわち、分析の方法は、まだ経済上の問題に適用されたことのなかったものであって、はじめの諸章を読むのは かなり難しいのです。それでこういう恐れがありましょう。

 すなわち、フランスの読者は、始末を知るのにいつも気を焦り、一般原理と自分たちの現に心を奪われている問題との関連をち識るに急であるために、続けて読むのを厭うようになるのであろうということです。というのは、彼らにすぐ最初のところで一切が分かるというわけではないのですから。

 これは一つの不利な点です。これに対しては、私はどうにもしようがありません。ただいずれにしてもあらかじめこのことを注意しておいて、真理を求めている読者に心の準備をさせておくほかありません。

 学問には坦々たる大道はありません。そしてただ、学問の急峻な山路をよじ登るのに疲労困憊を厭わない者だけが、輝かしい絶頂を極める希望を持つのです。

                      早々敬具

                    カール・マルクス 

 ここでは、最後のこの言葉がどこでも取り上げられます。 『資本論』を読破する上で一番重要なところは、 この心構えであると言えましょう。 


次に変革の時代と『資本論』マルクスのすすめ『経済』編集部編 新日本出版社 32ページ(1)自らの頭脳を鍛えつつ学ぶ

①『資本論』は「科学としての経済学」を自らの頭脳を鍛えつつ学び、身につけるのだという覚悟を持って、相当の長い時間を確保して、精読せよ。

 革命家であり、盟友のエンゲルスとともに科学的社会主義の創始者であったマルクスは、1840年代に新しい「科学としての経済学」お家建てることを労働者階級から与えられた主要な任務」 であると自覚して経済学の研究に入り、1850年代にはイギリス古典派経済学をはじめとする自分に先立つ経済学をことごとく 批判し、克服して、その批判的継承の上に『資本論』を著しました。『資本論』こそは、マルクスと言う天才のまさに超人的な努力の結晶であり、「科学としての経済学」を確立させた「科学としての経済学の最高傑作」です。

 『資本論』は、第一部「資本の生産過程」、第2部「資本の流通過程」 第3部「資本主義的生産の総過程」、の全3部から成り立っています 。マルクスの予定では、この他に「剰余価値学説史」と言われる草稿を第4部に当てるつもりでした。第一部は、マルクス自身によって編集され、その初版は1867年に出版されました。第2部と第3部は、マルクスの死後エンゲルスによって編集され出版されました。

 この全3部からなる『資本論』の全体の基礎をなしているのは、マルクス自身によって編集され「一つの独立の著作」と言われる第一部です。マルクスは、『資本論』第一部(初版)の序言で「近代社会の経済的 運動法則を暴露することがこの著作の最終目的である」と言っていますが、第一部を学べば「この著作の最終目的」である近代社会すなわち資本主義社会の経済法則を基本的に理解することができます。ですから『資本論』を読む人は、まず第一部をよく読まなくてはなりません。

 このマルクスの畢生の大著である『資本論』を読む人は、まずマルクス自身が読者に与えた注意を心得ておくことが有益です。マルクスは、『資本論』の著実に関して多くの手紙を書いていますが、その中で「私の著作の長所はそれが一つの芸術的全体をなしていることだ」(エンゲルスあて)、「(この著作の目的は) 叙述の仕方そのものによって凡俗を武装解除することだ」、「このように大きな、そして部分的に難解な著作は、読破と消化の為に時間を必要とする」(クーゲルマンあて)と述べています。 33ページ 


 今回は短く 読んでで終わるということにしました。『資本論』の第1巻は20ページまで読み終わったことになります。序文あとがきでも、重要なことが書かれていますので、しっかり読んでみたいと思います。


2021年5月28日金曜日

第20回『資本論』の学習 マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店 第2版へのあとがき16ページ8行目から ヘーゲル

 第20回『資本論』の学習 マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店

第2版へのあとがき16ページ8行目から


今回で20回目となります。ほとんど引用なので、読破してもらうのがよろしいかと思います。多分ですが引用文の中に誤字党等があると思われるのです。それを発見するには、岩波版を見ないと分からないかもしれません。役者によっては「剰余価値」の使い方まで違いますので、訳者も重要な位置を占めています。 ヘーゲルの人物紹介を長く引用して掲載いたしました。 全文を見たいと言う方は 、ヘーゲルと検索していただければ、いくつもの項目が出て来るでしょう。その中でもWikipediaが 細かく、大量に掲載されています。『資本論』の学習を再開となるのですが、再開して昨日でちょうど1ヶ月経過しました。

  このまま、継続することになるので、情報交換できる方がいたら、 楽しいいいように思います。先日日本経済新聞にミクロ経済学で分析した「最低賃金」制度 の考え方みたいのがありました。3人の学者さんが3回連載しているのです。ここで細かく言うこともないでしょう。なんとなくごまかされてしまうような近代経済学です。 マクロ経済学の流れからケインズ、アダム・スミス まだまだ遡ってしまいそうです。

 社会主義国で、「計量経済学」を導入した事実もあるので、その根拠を調べてみたいのです。 計量経済学・ミクロ経済学も結果を統計的にとるそこに、色々理由をこじつける。 なんとなく弁証法的にとらえられているかなと思うのです 。ここは絶対そうであると言うことが言えないので、学習を継続することになります。物事は変化していく。進歩すると いう見方もあるので、しばらく考えましょう。


 

 この著者は、自分で私の実際に用いた方法であると考えていることを、このように適切に説明しており、またこの方法を私自らどう適用したかお論じては、極めて好意的に描いてくれているのであるが、ここに描かれたものをこそ、弁証法的方法にほからないいものではないか。

 もちろん手術方法は覚前と研究方法と異なっていなければならぬ。研究は、素材を細微に だって我が物としその異なった発展形態を分析して、その内的紐帯を研究しなければならぬ。この仕事が完成した後に初めて、現実の運動をこれに応じて叙述することができる。このことが達成され、今や素材の生活が関連として再現されるようになれば、一見それは、ア・プリオリに構成されたものを取り扱うように見えるだろう。

 私の弁証法的方法は、その根本において、ヘーゲルの方法と違っているのみにならず、その正反対である。ヘーゲルにとっては、 思惟過程が現実的なものの造物主出会って、現実的なものは、 思惟 過程の外的現実を成すに他ならないのである。しかも私は、思惟過程を理念という名称の元に独立の死体に転化するのである。私においては、逆に、理念的なるものは、人間の頭脳に転移し翻訳された物質的ないるものにほかならない。

 私は、ヘーゲルの弁証法の神秘的な側面を、30年ほど前に、すなわち、なおそれが流行していた時代に、批判した。しかし、ちょうど私が『資本論』第一感の造作を続けている時には、暇教養あるドイツで大言壮語しているあの厭わしい不遜な凡庸の亜流が誇りか顔、レッシングの時代に勇ましいモービス・メンデルスゾーンがこのスピノザを取り扱ったように、すなわち、「死せる犬」として、ヘーゲルを取り扱っていた。従って私は、公然と、彼の偉大な思想家の弟子であることを告白した。弁証法は、ヘーゲルの手で神秘化されましたが、しかし、そのことは、決して、彼がその一般的な運動諸形態を、まず包括的で意識的な仕方で説明したのだということを妨げるものではない。弁証法は彼において頭で立っている。神秘的な空に進まれている合理的な中核を見出すためには、これをひっくり返さなければならない。

弁証法は、その神秘化された形態においては、ドイツの流行であった。というのは、現存しているものに光明を与えるように見えたからである。弁証法は、その合理的な姿においては、ブルジョワ階級とその杓子定規的な代弁者にとって腹立たしい、恐ろしいものである。というのは、それは現存しているものの肯定的な理解の中に、同時にその否定の理解、その自然的没落の理解をも含むものであり、生成した一切の形態を運動の流れの中に、したがってまた、その計画的な側面に従って理解するものであって、何者をも恐れず、その本質上批判的で革命的なものであるからである。

 資本主義社会の矛盾に満ちた運動は、実質的なブルジョアに対して周期的な景気循環の移り変わりにおいて、最も切実に感じられている。近代産業は、この循環を経過するものであって、その頂点が一般的な恐慌である。恐慌はまだ先行の段階にあるが、再び進行を始めている。そしてその舞台の普遍化していることによって、並びにその作用の強化されていることによって、神聖なる神プロイセンの国成りあがり者共にすら、弁証法を叩き込むであろう。

              ロンドンにて

               1873年1月24日

               カール・マルクス 


第2版へのあとがきはここまでとなります。人物についてはヘーゲルとなります。引用文が長いのである程度のところで止めておきました。 

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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ヘーゲルの肖像

生誕

1770年8月27日

神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国

Flag of Württemberg before 1809.svg ヴュルテンベルク公国 シュトゥットガルト

死没

1831年11月14日(61歳没)

Flag of the German Confederation (war).svg ドイツ連邦

プロイセン王国の旗 プロイセン王国 ベルリン

時代

18世紀の哲学19世紀の哲学

地域

西洋哲学

学派

ドイツ観念論、絶対的観念論、客観的観念論、ヘーゲル学派の創設者、歴史主義

研究分野

形而上学自然哲学歴史哲学政治哲学法哲学論理学美学哲学史

主な概念

絶対観念論、ヘーゲル弁証法主人と奴隷の弁証法en:Master-slave dialectic)、弁証法的止揚、精神Geist、人倫Sittlichkeit、「真理は全体である」、「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」

影響を受けた人物:

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影響を与えた人物:

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ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年8月27日 - 1831年11月14日[1])は、ドイツ哲学者である。ヨハン・ゴットリープ・フィヒテフリードリヒ・シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である。18世紀後半から19世紀初頭の時代を生き、領邦分立の状態からナポレオンの侵攻を受けてドイツ統一へと向かい始める転換期を歩んだ。

シュトゥットガルトのヘーゲルハウスにあるポートレイト

目次

概要[編集]

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、1770年8月27日神聖ローマ帝国の領邦国家ヴュルテンベルク公国の首都シュトゥットガルトでプロテスタント家庭の官吏の息子に生まれる。13歳で教育熱心な母を亡くしたものの、勉学への熱意を高めていった。1788年、チュービンゲン大学に入学。寮生活をしながら神学や哲学を学び、ヘルダーリンシェリングと親密な交友関係を築いていった。在学中にはギリシア文化に加えてカント哲学を学び、啓蒙主義と1789年フランス革命の勃発に触発を受けてさらに向学の意欲を高め、キリスト教史に関する研究をおこなった。

卒業後はすぐには教職につけなかったため、1793年から1800年までスイスの首都ベルンで、次いでフランクフルトで家庭教師をしてながら、政治研究に専心する。恐怖政治期のフランスや都市有力者の寡頭支配にあったスイス、領邦分立のドイツに批判的な立場を強めていった。1801年、シェリングが大学教授を務めていたイエナ大学の私講師となり、シェリングと共同研究をおこなってカントとフィヒテを批判する論文を執筆していたが、次第に独自の立場を形成して1807年に『精神現象学』を刊行、シェリングを厳しく批判した。シェリングとの友情はこれ以降途絶える。折しも、イエナ会戦でプロイセン王国ナポレオンに敗北したためにイエナ大学は閉鎖され、職を失うこととなった。ヘーゲルはフランス軍によるイエナ占領のなか行進中のナポレオンを目撃、ナポレオンを「馬上の世界精神」と評している。1808年から1816年、ヘーゲルは生活を守るため、友人のニートハンマーの斡旋でバンベルクで新聞社の編集者になり、次いでニュルンベルクで中等教育機関ギムナジウムの校長となった。ヘーゲルは教科書編纂を目的に体系哲学の書『大論理学』、『エンチクロペディー』を執筆した。1811年、ヘーゲルは都市貴族の娘と結婚、幸福な家庭生活を享受して、二人の男子をもうけている。

1816年、ヘーゲルは念願のハイデルベルク大学での正教授職を手に入れ、名実ともに学問的評価を確立していく。二年後の1818年、ヘーゲルはフィヒテの後任としてベルリン大学の教授に招かれた。1821年、後期の代表作『法の哲学』を発表した。また、数々の講義を担当し、教壇に立って多くの学生の心を捉えてヘーゲル学派を形成した。ヘーゲルはプロイセン改革英語版の積極性を支持したことによりプロイセン政府の好感を手にし、急進的なブルシェンシャフト運動を抑止する目的で、1829年大学総長に選出された。しかし、ヘーゲルは当時猛威を奮っていたコレラに倒れ、1831年11月14日に急逝。

ヘーゲルは、古典に通じた慧眼で現実的かつ理想的な哲学を展開し、同時代のみならず後世にも大きな影響を与えた。主な著作は『精神現象学』、『論理学(大論理学)』、『エンチクロペディー』、『法哲学・要綱』などがある。なお、『歴史哲学』『美学』『宗教哲学』などはヘーゲル没後、弟子たち(つまりヘーゲル学派)により彼の講義ノートと聴講生のノートとを中心に編纂されたものである[2]

生涯[編集]

幼少期[編集]

1789年時点の神聖ローマ帝国。南西部の黄色部分がヴェルテンベルク公国。中小の領邦が分立している。

シュトゥットガルトのヘーゲルの生家、 現在はヘーゲル博物館となっている

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは1770年8月27日神聖ローマ帝国[注釈 1]南西部に位置するシュヴァーベン地方ヴュルテンベルク公国[注釈 2]シュトゥットガルト(現在のドイツ南西部バーデン=ヴュルテンベルク州の州都)のエーバーハルトシュトラーセ53番地に居を構える中流家庭に生まれる[8][9]。父親はヴュルテンベルク政府の公務員だったゲオルグ・ルートヴィヒ・ヘーゲル(1733年-1799年)。母はマリア・マグダレーナ・ルイーザ・ヘーゲル(旧姓フロム、1741年-1783年)[10]

詳細は「ヴュルテンベルク公国」を参照

なお、18世紀後期のドイツ社会はシュトゥルム・ウント・ドラングの時代に当たり、文豪ゲーテ(1749-1832)が活躍し、同時代人に作家にして哲学者のシラー(1759-1805)やフィヒテ(1762-1814)といった人物が活躍を見せた[11]。また、前年にコルシカではナポレオン(1769-1821)が誕生し、同年生まれには著名人に音楽家ベートーヴェン(1770-1827)、詩人のフリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843)がいる。後年の生まれでは、哲学者のフリードリヒ・シェリング(1775-1854)が生まれている[12][13]

ヘーゲル家は16世紀にオーストリア領内のスタイエルマルク地方やケルンテン地方から逃れたプロテスタント迫害を逃れた移民にルーツがある。祖先はヨハネス・ヘーゲルという錫器の鋳造者だと言われ、一族には牧師や製造業者、市の書記など公務員に従事するものがいた[8]。父ゲオルグ・ルートヴィヒは収税局書記としてカール・オイゲン公に仕えていた。母マリア・マグダレーナは民会の役員を務めるフロム家の出身で、信仰篤く教養豊かな女性であった[10][13]

ヘーゲルは三人兄弟の長子で、弟はナポレオン戦争に従軍しロシア遠征中に戦死している。妹のクリスティアーネとはとりわけ親密で、終生格別の強い絆をもっていた。ヘーゲルは貧しくも富裕でもない中産階級のプロテスタント的で堅実な家庭環境で幼少期を過ごすことになった[10][14]

進歩的な教育者であった母の影響も手伝って、子供時代は学問の環境に恵まれ、5歳でラテン語学校に入り、文学・新聞・哲学などの書物を読みあさった[14]。だが、幼少期は病気がちで、天然痘で死に瀕したことがある[15]

ギムナジウム時代[編集]

この時期、世界は大きな時代の変化を経験していた。1772年、第一回ポーランド分割がおこり、新大陸では1776年アメリカ合衆国が独立を宣言した。また、フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーが1778年に没し、1786年にはプロイセン王国の名君フリードリヒ大王が世を去る。一方で、カントがイギリス経験論と大陸合理論とを統一、総合して『純粋理性批判』(1781年)を執筆した。カントは人間理性の活動とその範囲を明示し、近代科学の時代の扉を開いた[16][13]

紀元前497/6年ごろ – 406/5年に活躍したギリシア詩人ソポクレース

母と恩師、そして別れ[編集]

ヘーゲルは、7歳から18歳までの教育課程としてギムナジウムに進学した[11]。ギムナジウムではレフラー先生をとりわけ尊敬していた。ヘーゲルは8歳のころ先生からの教示を受けたが、10-13歳にかけて新約聖書やキケロを教わり、ヘブライ語を学ぶなど薫陶を受けた。レフラー先生から8歳のときシェイクスピア全集をもらい読むなど大変な読書家で、感想なども多数書き残す[17]

1783年9月20日、ヘーゲルが13歳のころ、母マリア・マグダレーナが42歳にして世を去る。ヘーゲルは母への愛を晩年期まで思い慕うものであり、ヘーゲルが終生形作ったプロテスタントとしての堅実な人間性や考え方を母との暮らしの経験と記憶から受け継いだ[15]。さらに、1785年7月5日には生徒のために身をささげ、学問の価値を教えた尊敬するレフラー先生を失ってしまう[18]。ヘーゲルに多くの資質を与えた人々がいなくなった。

しかし、ヘーゲルの勉学に臨む意欲は沈まなかった。ヘーゲルは15歳ごろから歴史や法律、道徳などを広く学び、読んだ本や学んだことを事細かく要約し、抜粋し、自分の考え方や意見、反省点を日記としてノートにまとめ始めた。早くから大学での研究に適う学問的態度を身に着けていた[19][20]。修辞学に関しても言葉の歴史的由来や用法を考察し、適切な引用をおこなう非凡な才覚を持ったヘーゲルであるが、同時に話下手であった。また運動は不得意で、ギムナジウム時代は文学に関しても、ゲーテやシラーは読まず平凡な恋愛小説を夢中になって読んでいたようである[21]

ギリシア悲劇[編集]

ギムナジウムではギリシア・ローマの古典を授業の中心に据えるのが普通であり、諸学の中でヘーゲルの心を捉えたもので最たるものはギリシア悲劇である。ソポクレースの『オイディプース王』、『コローノスのオイディプース』、『アンティゴネー』が好きで翻訳などに取り組んだ。ヘーゲルは生涯、人の世の苦悩と葛藤を描いた悲壮な悲劇の世界を愛し続けた。ギリシア悲劇はヘーゲルの内面にあって楽天的な合理主義を退け、人間(個人)と人間(個人)の衝突、種族(社会)と種族(社会)の対立に着目し、世界における避けがたい矛盾と分裂、そして闘争を主題として考察する基本的な学問路線を形成するものとなった[22]

歴史への関心[編集]

ヘーゲルは古典だけではなく、歴史の教養においても優れていた。『戦史』を記したトゥキディデスや『ローマ人盛衰原因論』を記した近代のモンテスキューを読んだ。1785年レフラー先生が亡くなる直前に当たる6月末には、シュレックの『普遍的世界史』における歴史記述の方法から、歴史上の事件や人物の活躍が各国民や民族の特性や習俗にいかなる影響をもたらし、いかなる憲法や体制の樹立につながったのかを研究する重要性を意識する必要があることを悟る。このような歴史の哲学的な意味を求めようとする姿勢はカント以来のドイツでの学問的状況と符合するものであった。ヘーゲルの歴史意識は晩年に至るまで成長を続けて年と共に完成されていく。ヘーゲルにおいての歴史は過去の人物や事件の意義を考察し、歴史の底流に流れる法則性を考察する歴史哲学へと高められていく[23]

1788年、ヘーゲルは18歳でギムナジウムを卒業し、シュトゥットガルトを去ることになる[24]

テュービンゲン大学時代 (1788–93)[編集]

イマニエル・カント

カント哲学の完成[編集]

1780年代は世界史上の激動期であった。1788年、カントが『実践理性批判』を公刊、理性に基づく道徳の格率とその体系を明示し、意志の自由と人格の尊厳を主軸とした道徳理論を鼎立した。また、1790年には『判断力批判』を公刊、美と生物の合目的性を論じた。カント哲学が完成を見せ、時代はドイツの近代的思惟の成熟期へと向かっていた[25]。ヘーゲルはカント哲学に強い影響を受け、青年時代はカント哲学を実践的かつ社会的な方法で完成させようと試みていく。実践の試みよりもむしろ、その問題点の解決が重要であると認めたのは、1800年になってからのことである。当初はカント哲学とキリスト教の両立問題に関心を集中させていた。

詳細は「イマヌエル・カント」を参照



















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