第32回 資本論の学習 第1章 商品 第1篇 商品と貨幣
前回から時間が経過しているので、新日本版で、はじめから出直します。ほとんどが引用となります。注意書きで詳しく解説されていることもあるので、学習のためには参考になるでしょう。
資本論 カール・マルクス 新日本出版社
第一篇商品と貨幣
第一章商品
第一節商品の二つの要因
-使用価値と価値(価値の実体、価値の大きさ)
資本主義的生産様式が 支配している 諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」(1)として現われ、個々の商品はその富の要素形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。
(1) カール・マルクス『経済学批判』、ベルリン、一八五九年、三ページ[邦訳『全集』、第一三巻、一三ページ】。
商品は、なによりもまず、その諸属性によってなんらかの種類の人間的欲求を満たす一つの物、一つの外的対象、である。これらの欲求の性質、すなわち欲求がたとえば胃袋から生じるか想像から生じるかということは、事態をなんら変えない。ここではまた、どのようにして物が人間的欲求を満たすか―直接に生活手段として、すなわち享受の対象としてか、それとも、回り道をして、生産手段としてか――ということも問題ではない。
(Ⅱ)「願望は欲求を含む。それは精神の食欲であり、肉体にとって空腹が自然的であるように、自然的である。
大多数(の物)は、精神の欲求を 満たす ところから、その価値をもつのである」(ニコラス・バーボン
『新貨幣をより軽く鋳造することに関する一論。ロック氏の諸考察に答えて』、ロンドン、一六九六年、二、三ページ)。
鉄、紙などのような有用物は、どれも、二重の観点から、質および量の観点から、考察されなければならない。このような物はどれも、多くの属性からなる一つの全体であり、それゆえ、さまざまなの面で有用でありうる。これらのさまざまな面と、それゆえ物のいろいろな使用の仕方とを発見することは、歴史的な行為である。有用物の量をはかる社会的尺度をみつけ出すこともそうである。諸商品尺度の相違は、一部は、はかられる対象の性質の相違から生じ、一部は、慣習から生じる。
(三)「諸物は一つの内的な値打ち」(これはバーボンにあっては使用価値を表わす独自な表現である)「をもっている。すなわち、諸物はあらゆる場所で同じ値打ちをもっている。たとえば、磁石が鉄を引きつけるというようにである」(バーボン、前出、六ページ)。鉄を引きつけるという磁石の属性は、それを通して磁石の両極性が発見されたとき、はじめて有用になった。
(四)
ある物の有用性は、その物を使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮かんでいるのではない。この有用性は、商品体の諸属性によって制約されており、商品体なしには実存しない。それゆえ、鉄、小麦、ダイヤモンドなどのような商品体そのものが、使用価値または財である。商品体のこの性格は、その使用上の諸属性を取得するために人間が多くの労働を費やすか、少しの労働を費やすかにはかかわりがない。使用価値の考察にさいしては、一ダースの時計、一ェレのリンネル、一トンの鉄などのようなその量的規定性がつねに前提されている。諸商品の諸使用価値は、一つの独自な学科である商品学の材料を提供する(五)。使用価値は、使用または消費においてのみ、実現される。使用価値は、富の社会的形態がどのようなものであろうと、富の素材的内容をなしている。われわれが考察しようとする社会形態においては、それは同時に交換価値の素材的担い手をなしている。
(四)「どんな物の自然的·値打ち,も、人間生活の必要を満たしたり便宜に役立ったりするその適性にある」
(ジョン・ロック「利子引き下げ[……]の諸結果にかんする若干の考察』、一六九一年、所収『著作集』、ロンドン、一七七七年版、第二巻、二八ページ [田中正司・竹本洋訳『利子・貨幣論』、東京大学出版会、六四ページ)。 一七世紀においても、イギリスの著述家たちのあいだで、使用価値として Worth が、交換価値として Value が用いられているのを しばしば見受けるが、これは、直接的な物をゲルマン語で、反省された物をロマンス語で、表現することを好む国語の精神にまったく一致している。
(五) ブルジョア社会では、各人は 商品の買い手として百科全書的な 商品知識をもっているという“擬制」が支配的に行なわれている。
*1 〔長さの古い単位。地域によって異なりプロイセンでは六六.六九センチメートル】
#2 [ラテン語から派生した言語で、イタリア語、スペイン語、フランス語など]
交換価値は、さしあたり、一つの種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係、すなわち比率として現れる p621行目