第72回マルクス 資本論 第1巻 向坂逸郎訳 岩波書店の学習 112ページ
三総体的または拡大された価値形態の欠陥
C一般的価値形態
1 価値形態の変化した性格
二 相対的価値形態と等価形態の発展関係
三一般的価値形態から貨幣形態への移行
D 貨幣形態
第四節商品の物神的性格とその秘密
第二章交換過程 112ページ
(三八) プルードンは、まず彼の正義の理想、すなわち,justice éternelle“(永遠の正義)の理想を、商品生産に相応する法関係から作り出す。
ついでに述べておくが、このことによって、またすべての俗物たちに大変に慰安を与える証明できるのである、すなわち、商品生産の形態は、正義と同じように、永遠であるということである。
それから、逆に彼は、現実の商品生産とこれに相応する現実の法を、この理想にしたがって改造しようとする。
物質代謝の現実の法則を研究し、その基礎の上に一定の課題を解こうとするかわりに、物質代謝を .naturalité“(自然的素質)や,affinité(血縁)というような「永遠の理念」によって改造しようとする化学者について、人は何と考えるだろうか。ふし高利貸は、justice éternelle“(永遠 の 正義)やséquité éternelle“(永遠の公正)ゃ amutualité éternelle" (永遠の相互扶助)やその他 の avérités éternelles(永遠の真理)に反すると言えば、高利貸について教父たちが知っていたことより、何か少しでめ多く知ることになるだろうか? 教父たちも、高利貸は ggrice éternelle(永遠の恩寵) や foi éternelle(永遠の信仰)ゃ avolonté éternelle de dieu(神の永遠の意志)に反するといっていたのである。
商品所有者をとくに商品から区別するめのは、商品にとっては、すべての他の商品体が、ただ自分の価値の現象形 形態と考えられるにすぎないという事情である。だから、生まれつきの平等主義者で皮肉屋である商品は、つねに、他のあらゆる商品と、自分はマリトルネス〔セルヴァンテスの『ドン・キホーテ』に出てくる醜い女中。……訳者]よりもっと醜
い様子をしていても、心だけでなく、肉体換える用意をしている。
商品に欠けているこの商品体の具体的なるものにたいする感覚を、商品所有者は、彼自身の五感ないし六感で補うのである。彼の商品は、彼にとってはなんら直接の使用価値ではない。
そうでなければ、彼はこれを市場にあっては行かない。商品は他人に対する使用価値をめっ
ているのである。彼にとっては、商品は直接には、交換価値の担い手であり、したがって交換手段であるという使用価値をふっているだけである。
それゆえに、彼はこれを、その使用価値が彼に満足を与える商品にたいして譲渡しようとする。すべての商品は、その所有者にたいしては非使用価値であり、その非所有者にたいしては使用価値である。
商品は、こうして全般的に持ち手を換えなければならない。しかし、この持ち手変更がその交換をなすのである。そしてこの交換が商品を価値として相互に関係させる。
さらにこれを価値として実現する。したがって、商品は、それが使用価値として実現されうる前に、価値として実現されなければならない。
(三九)「なぜかというに、すべての財貨の使用は二重であるからである。 |その一つは物自体に固有であり、他はそうではない。サンダルのように、はくことに用いられると同時に交換されうるのである。
両者とらにサンダルの使用価値である。なぜかというに、サンダルを、自分であっていないのと、例えば、食物と交換する人でち、サンダルはサンダルとして利用するのであるからである。
しかしながら、その自然の使用方法で利用するのではない。なぜかというに、サンダルは、交換のためにあるのではないからである」(アリストテレス『国家論』第一巻、第九章〔山本光雄訳『政治学』岩波文庫版、五一ページ])。
他方において、商品は、それが価値として実現されうる前に、使用価値であることを立証しなければならない。なぜかというに、商品に支出された人間労働は、それが他人にたいして有用な形態で支出されるかぎりでのみ、かかる人間労働の性質を受け取るからである。
その労働が他人に有用であるか、したがって、その生産物が他人の欲望を充足させるかどうかは、だが、諸商品が交換されてはじめて証明しうることである。
あらゆる商品所有者は、その商品を、ただ彼の欲望を充足させる使用価値をあつ他の商品にたいして譲渡するだけである。
そのかぎりにおいて、交換は彼にとって個人的な過程であるにすぎない。他方において、彼はその商品を価値として、したがって、同一価値をめっている任意のあらゆる他の商品に実現しようとする。
ここでは彼自身の商品が他の商品の所有者にとって、使用価値をもっているかどうかは問題でない。そのかぎりにおいて、交換は彼にとっ換て、一般的に社会的な過程である。
だが、この同じ過程が、同時にすべての商品所有者にたいして、もっぱら個人的であって、同時にまたもっぱら一般的に社会的であるというようなことはありえない。
あっと詳細に見るならば、すべての商品所有者にたいして、あらゆる他人の商品は、彼の商品の特別な等価となっている。したがって彼の商品は、また他のすべての商品の一般的な等価となる。しかしながら、すべての商品所有者113ページ末