📘『資本論』再学習 第68回
第1巻 第1冊「資本の生産過程」
第6篇「労働賃金」第20章「労働賃金の国民的差異」
はじめに――なぜ国によって賃金が違うのか
同じような仕事をしていても、国によって賃金額は大きく異なります。
たとえば、ある国の労働者が1日1万円を受け取り、別の国の労働者が1日5,000円を受け取ってい
るとします。この数字だけを見ると、前者の労働者のほうが豊かで、労働力も高く評価されてい
るように思えます。
しかしマルクスは、第20章で次のことを明らかにします。
各国の賃金を比べるとき、通貨で表された賃金額だけを比較しても、労働者の本当の生活状
態や搾取の程度は分からない。
国ごとに、生活費、労働時間、労働の強度、生産力、労働力の再生産に必要な費用などが異なる
からです。
1.賃金の国際比較は単純ではない
各国の賃金を比較するためには、少なくとも次の条件を考える必要があります。
労働力を維持・再生産するための生活費
食料・住宅・衣服などの物価
1日の労働時間
労働の強度
労働生産性
労働者が身につける技能や教育
歴史的・社会的に形成された生活水準
家族を養うために必要な費用
女性や子どもを含む家族全体の就業状況
賃金額が高い国であっても、物価や家賃が非常に高ければ、実際に購入できる生活手段はそれ
ほど多くない場合があります。
反対に、賃金額が低くても物価が低ければ、一定の生活を維持できる可能性があります。
したがって、単純な金額の比較では不十分なのです。
2.労働力の価値には国民的な違いがある
労働力の価値は、労働者が働き続け、家族を養い、次の世代の労働者を育てるために必要な生
活手段の価値によって決まります。
しかし、「必要な生活手段」の内容は、すべての国で同じではありません。
自然的な条件
気候
食生活
住居条件
必要な衣服
移動に必要な費用
歴史的・社会的な条件
その国で一般的とされる生活水準
教育・訓練に必要な費用
文化的な生活に必要な費用
労働者運動や労使関係の歴史
社会保障や公共サービスの水準
寒冷地では暖房費や防寒着が必要です。高度な技能を必要とする産業では、教育や訓練にも費
用がかかります。
このように、労働力の価値には、自然的要素だけでなく、歴史的・道徳的な要素も含まれてい
ます。
3.名目賃金と実質賃金を区別する
国際比較で特に重要なのが、名目賃金と実質賃金の違いです。
名目賃金
貨幣の額で表された賃金です。
例:日給1万円、月給30万円など。
実質賃金
受け取った賃金によって、実際にどれだけの商品やサービスを購入できるかを示します。
簡単に表すと、
実質賃金=物価水準名目賃金
となります。
月給が上がっても、食料品、電気代、家賃などがそれ以上に値上がりすれば、実質賃金は
低下します。
したがって、ある国の名目賃金が高くても、それだけで労働者が豊かだとは判断できません。
4.労働時間の長さも比較しなければならない
月給が同じでも、労働時間が違えば、1時間当たりの賃金は異なります。
たとえば、月給が同じ30万円でも、
A国では月150時間
B国では月250時間
働いているとすれば、B国の労働者の時間当たり賃金は低くなります。
時間賃金=総労働時間賃金総額
ただし、時間だけではまだ十分ではありません。次に、労働の強度を考える必要があります。
5.労働の強度には国民的差異がある
労働の強度とは、一定時間内にどれほど集中的に労働するかということです。
同じ8時間労働でも、
作業速度が速い
休憩時間が短い
同時に複数の仕事を担当する
厳しい生産目標が設定される
機械の速度に合わせ続ける
という職場では、より多くの労働力が支出されます。
マルクスは、世界市場においては、各国の労働強度の平均が異なると考えました。国内では
「平均的」とされる労働でも、国際的に見れば、より強度の高い労働として評価される場合が
あります。
つまり、労働時間が同じでも、実際に支出される労働量は同じとは限りません。
6.生産力が高い国では賃金も高く見える
労働生産性とは、一定時間内にどれだけ多くの商品を生産できるかを示すものです。
機械化や技術革新が進んだ国では、同じ時間でも多くの商品を生産できます。そのため、資本家
は労働者に比較的高い賃金を支払っても、十分な剰余価値を得られる可能性があります。
たとえば、労働者が1日に生み出す価値を単純化すると、次のように表せます。
A国の賃金はB国の2倍です。しかし、資本家が取得する剰余価値はA国のほうが大きくなって
います。
したがって、賃金が高いことと、搾取されていないことは同じではありません。
高賃金国でも、生産性や労働強度が高ければ、資本家が得る剰余価値は大きくなり得ます。
7.「賃金が高い国ほど労働が安い」という逆説
ここが第20章の重要なポイントです。
発達した資本主義国では、労働者が受け取る日賃金や週賃金が高い場合があります。しかし同
時に、生産力と労働強度も高くなっています。
その結果、商品1単位を生産するために必要な労働時間が短くなります。
たとえば、同じ商品を作る場合、
A国では1時間で10個
B国では1時間で2個
生産できるとします。
A国の時間賃金がB国より高くても、商品1個当たりの賃金費用はA国のほうが低くなることがあ
ります。
商品1個当たりの賃金費用=1時間当たりの生産量時間賃金
この意味で、
労働者の賃金は高くても、資本にとっての労働費用は安い
という、一見矛盾した状態が生まれます。
8.貨幣賃金の高さと生活の豊かさは一致しない
貨幣賃金が高くても、次のような支出が大きければ、労働者の生活には余裕が生まれません。
家賃
医療費
教育費
交通費
光熱費
保険料
税金
老後に備えるための費用
一方、公共住宅、医療、教育、公共交通などが社会的に保障されていれば、賃金額が多少低く
ても、生活の安定性が高くなる場合があります。
現代の国際比較では、賃金額だけでなく、社会保障や公共サービスも含めて考える必要があり
ます。
9.相対的賃金にも注目する
労働者の状態を考えるときには、自分がいくら受け取るかだけでなく、労働者と資本家の取り
分の関係も重要です。
たとえば、労働者の賃金が20%増えても、その間に企業利益が100%増えたとします。
労働者の生活は多少改善するかもしれません。しかし、生み出された価値に占める労働者の取
り分は低下する可能性があります。
これが相対的賃金の問題です。
相対的賃金=労働者が生み出した価値労働者の賃金
絶対的な賃金が増えても、資本との格差や従属関係が拡大することがあるのです。
10.世界市場では各国の労働者が競争させられる
資本は、より低い費用で商品を生産できる地域を求めます。
その結果、企業は、
生産拠点の海外移転
低賃金国への発注
国際的な下請け制度
外国人労働者の利用
非正規雇用や業務委託の拡大
などを進めます。
各国の労働者は、自分の意思とは無関係に世界市場の中で比較され、競争させられます。
ただし、「低賃金国なら必ず有利」とは限りません。労働生産性、輸送費、品質、技術力、イン
フラなども生産費に影響します。
資本が見るのは、賃金額だけではなく、商品1単位を生産するための総費用なのです。
11.現代日本から考える
第20章の考え方は、現在の日本にも応用できます。
日本では名目賃金が上昇しても、物価上昇がそれを上回れば、実質賃金は低下します。また、
給与が同じでも、仕事量の増加や人員削減によって労働強度が高まれば、労働者の負担は重くな
ります。
国際比較でも、単純な平均年収だけでなく、次の点を見る必要があります。
物価を考慮した実質賃金
労働時間
サービス残業の有無
有給休暇の取得状況
仕事の密度と精神的負担
労働生産性
社会保険料や税負担
医療・教育・住宅の自己負担
企業利益と労働分配率
マルクスの分析は、「どの国の給料が高いか」という表面的な比較から、「労働者が生み出した
価値がどのように分配されているか」という本質的な問題へ目を向けさせます。
12.第20章で注意したいこと
この章は、「高賃金国の労働者は必ず不幸である」と主張しているわけではありません。
また、「低賃金国でも物価が安ければ問題はない」という意味でもありません。
重要なのは、賃金を一つの数字だけで判断しないことです。
賃金を正しく理解するには、
いくら受け取るのか
その賃金で何を買えるのか
何時間働くのか
どの程度の強度で働くのか
どれだけの価値を生み出すのか
その価値を資本と労働がどう分けるのか
を総合的に見る必要があります。
今回の重要ポイント
✅ 国ごとの賃金額だけを比べても、労働者の生活状態は分からない
✅ 労働力の価値は、物価、生活習慣、教育、技能、歴史的な生活水準などによって異なる
✅ 名目賃金が高くても、物価が高ければ実質賃金は低くなる場合がある
✅ 労働時間だけでなく、労働の強度も比較する必要がある
✅ 生産力の高い国では、賃金が高くても商品1個当たりの賃金費用は低くなり得る
✅ 高賃金国でも、労働者から生み出される剰余価値が大きい場合がある
✅ 絶対的な賃金が上昇しても、資本に対する労働者の相対的な取り分が低下することがある
✅ 世界市場では、各国の労働者が賃金・生産性・労働強度を通じて競争させられる
まとめ
第20章「労働賃金の国民的差異」でマルクスが示したのは、賃金の国際比較には多くの条件が隠
されているということです。
高い賃金=豊かな生活=搾取が少ない、とは限りません。
賃金が高い国でも、生産性や労働強度が高ければ、資本家はより多くの剰余価値を得られます。
一方、賃金額が低い国では、生活費の安さを考慮しても、労働力の価値を下回る賃金が支払われ
ている可能性があります。
大切なのは、通貨で表された金額の背後にある、生活費、労働時間、労働強度、生産力、そして
生み出された価値の分配関係を見ることです。
第20章は、労働賃金を国際的な視点から分析するとともに、世界市場の中で労働者がどのよう
に比較され、競争させられるのかを明らかにした章だといえるでしょう。

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