第47回 マルクス 資本論 第1巻 向坂逸郎訳 岩波書店の学習 66ページ
A単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
二相対的価値形態
a相対的価値形態の内実
他方において、亜麻布自身の価値たることが前景に押し出される、すなわち、独立の表現を得る。なぜかというに、ただ価値としてのみ亜麻布は、等価物としての、あるいは自分と交換されうるものとしての、上衣に関係するからである。
このようにして、酪酸は城酸プロピルとはちがった物体である、しかし、この両者は同一の化学的実体―炭素(C)、水素(H) および酸素(0)|から、しかも同一割合の組成、すなわち、C4H8O2, から成り立っている。そこで、もし酵酸に蟻酸プロピルが等しい関係に置かれるとすれば、この関係においては、第一に蟻酸プロピルは単に C4H8O2 の存在形態とされ、第二に酪酸また C4H8O2 から成り立っということがいわれるであろう。
こうして、蟻酸プロピルを酪酸と等置することによって、その化学的実体は、その物体の形態と区別して表現されるであろう。
価値としては、商品は人間労働の単なる凝結物であると、われわれがいうとすれば、われわれの分析は、これらの商品を価値抽象に整約するのではあるが、これらの商品に、その自然形態とちがった価値形態を与えるものではない。
一商品の他のそれにたいする価値関係においては、ことはちがってくる。その価値性格は、この場合には、それ自身の他の商品にたいする関係によって現われてくる。
例えば、上衣が価値物として亜麻布に等しいとされることによって、上衣にひそんでいる労働は、亜麻布にひそんでいる労働に等しいとされる。
さて上衣を縫う裁縫は、亜麻布を織る機織とは種類のちがった具体的な労働であるが、しかしながら、機織に等しいと置かれるということは、裁縫を、実際に両労働にあって現実に同一なるのに、すなわち、両労働に共通な人間労働という性格に、整約するのである。
この迂路を通って初めてこういわれるのである、機織、価値を織りこむかぎり、裁縫にたいしてなんらの識別徴表をもっていない、すなわち、抽象的に人間的な労働であるというのである。
ただおのおのちがった商品の等価表現のみが、種類のちがった商品にひそんでいる異種労
働を、実際にそれらに共通するのに、すなわち、人間労働一般(一七a)に整約して、価値形成労働の特殊性格を現出させる。
(一七a) 第二版への注。ウィリアム・ペティの後に、価値の性質を見破った最初の経済学者の一人である有名なフランクリンはこう述べている。「商業はそうじてある労働の他の労働にたいする交換にほかならないのであるから、すべての物の価値は、労働で評価されるのが、もっとも正しい」(『B・フランクリン著作集』スパークス版、ボストン、一八三六年、第二巻、二六七ページ)。フラン リンは、すべての物の価値を「労働で」評価して、交換された労働の異種性から抽象しているということを、そしてこのようにして、これを同一人間労働に整約しているのだということを、意識していない。
それでも、自分で知らないことを、彼は言っているのである。彼は、はじめ「ある労働」について、次いで「他の労働について」、最後に、すべての物の価値の実体であるほかなんらの名をふっていない「労働」について語っている。
だが、亜麻布の価値をなしている労働の特殊な性質を表現するだけでは、充分でない。流動状態にある人間労働力、すなわち人間労働は、価値を形成するのではあるが、価値ではない。それは凝結した状態で、すなわち、対象的な形態で価値となる。(新日本87ページ16行)
人間労働の凝結物としての亜麻布価値を表現するためには、それは、亜麻布自身とは物的に相違しているが、同時に他の商品と共通に亜麻布にや存する「対象性」として表現されなければならぬ。課題はすでに解決されている。
亜麻布の価値関係において、上衣はこれと質的に等しいものとして、すなわち、同一性質の物とみなされる。というのは、上衣は価値であるからである。
したがって、上衣はここでは価値の現われる物として、またはその掴みうる 自然形態で、価値を表示している物となされている。
ところが上衣、すなわち、上衣商品の肉体は、たしかに単なる使用価値ではあるが、しかし、ある上衣をとって見ると、任意の一片の亜麻布と同じように、価値を表現するもので
はない。
このことは、ただ次のことを立証するだけである、すなわち、上衣が亜麻布にたいする価値関係の内部においては、その外部におけるより多くを意味すること、あたから多くの人間が笹縁(ささべり)をつけた上衣の内部においては、その外部におけるより多くを意味するようなものであるというのである。