第44回 資本論 カール・マルクス 新日本 第1篇商品と貨幣 第1章 商品 第3節価値形態または交換価値 2 相対的価値形態a相対的価値形態の内実
確かに、20エレのリンネル= 1 着の上着 すなわち、二Oェレのリンネルは一着の上着に値するという表現は、1着の上着=20エレのリンネル すなわち、一着の上着は二〇エレのリンネルに値する、という逆の関連を含んでいる。
しかし、そうは言っても、上着の価値を相対的に表現するためには、私はやはりこの等式を逆にしなければならず、そしてそうするやいなや、上着ではなくリンネルが等価物となる。
したがって、同じ商品は同じ価値表現においては同時に両方の形態で現われることはできない。この両形態は、むしろ対極的に排除し合うのである。
(64)そこで、ある一つの商品が相対的価値形態にあるか、それと対立する等価形態にあるかは、もっぱら、価値表現におけるその商品のそのつどの位置―すなわち、その商品は、その価値が表現される商品なのか、それでもって価値が表現される商品なのかーにかかっている。
2 相対的価値形態
相対的価値形態の内実
ある一つの商品の簡単な価値表現が二つの商品の価値関係のうちにどのように潜んでいるかをみつけ出すためには、この価値関係を、さしあたりその量的関係からまったく独立に、考察しなければならない。
人は、たいてい、これと正反対のことを行なっており、価値関係のうちに、二種類の商品の
一定分量どうしが等しいとされる割合だけを見ている。
その場合、見落とされているのは、異なった物の大きさは、それらが同じ単位 〔統一体〕に還元されてはじめて、量的に比較されうるものとなるということである。
それらは、同じ単位のもろもろの表現としてのみ、同名の、それゆえ同じ単位で計
量されうる大きさなのである。
(一七)
(1) S・ベイリーのように、価値形態の分析にたずさわった少数の経済学者たちがなんの成果もあげることができなかったのは、一つには、彼らが価値形態と価値とを混同しているからであり、第二には、実際的なブルジョアからの生の影響のもとに、はじめからもっぱら量的規定性 だけに 注目しているからである。
「量の支配が……価値をなす」(『貨幣とその価値の転変』、ロンドン、一八三七年、一二ページ)。著者はS・ベイリー。
20 エレのリンネル=1着の上着 であろうと=20 着の上着であろうと = x着の上着であろう、すなわち、一定分量のリンネルが多くの上着に値しようと少ない上着に値しようと、このような割合はどれも、リンネルと上着とは、価値の大きさとしては、同じ単位の諸表現であり、同じ性質の物であるということを、つねに含んでいる。 リンネル=上着 が等式の基礎である。
しかし、質的に等置された二つの商品は同じ役割を演じるのではない。リンネルの価値だけが表現される。
では、どのようにしてか? リンネルが、その「等価物」としての、またはそれと「交換さ
れうるもの」としての上着にたいしてもつ関連によって、である。
この関係のなかでは、上着は、価値の実存形態として、価値物として、通用する。
なぜなら、ただそのようなものとしてのみ、上着はリンネルと同じものだからである。
他方では、リンネルそれ自身の価値存在が現われてくる。すなわ値1つの自立的表現を受け取る。
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