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2021年11月11日木曜日

第42回 資本論 カール・マルクス 新日本 第1篇商品と貨幣 第1章 商品 第2節商品に表れる労働の2重性 第3節価値形態または交換価値

 第42回 資本論 カール・マルクス 新日本 第1篇商品と貨幣 第1章 商品 第2節商品に表れる労働の2重性 第3節価値形態または交換価値


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A・スミスは、一面では、この場合(どこでもというわけではないが)、商品の生産に支出される 労働の分量による価値の規定を、労働の価値による商品価値の規定と混同しており、したがって、等量の労働はつねに等しい価値をもつということを証明しようとしている。


他面では、彼は、商品価値に表わされる限りでの労働が、ただ、労働力の支出としてのみ通用するということにうすうす感づいているが、この支出を、ふたたび単に安楽、自由、および幸福の犠牲としてのみとらえ、正常な生命活動とはとらえていない。


いずれにせよ、彼は近代的賃銀労働者を眼前においているのである。 注九に引用したA・スミスの匿名の先行者は、はるかに適切に述べている。「ある人は、この使用対象 [生活必需品〕 の生産に一週間を費やした。


そして、それと交換に彼にある他の対象を与える人は、自分がなににちょうど等しい労働と時間とを費やすかを計算すること以上に、なにが現実に等価であるかを正しく評価する方法をもちえない。


このことが実際に意味しているのは、ある人が一定の時間にある対象に費やした労働と、別の人が同じ時間に別の対象に費やした労働との交換である」(『貨幣の利子一般、およびとくに公債の利子にかんする若干の考察』、三九ページ)。―第四版への注。


英語には、労働のこうした二つの異なる面を表わす二つの異なる言葉をもっているという長所がある。使用価値をつくり質的に規定されている労働は、labour にたいして work と呼ばれ、価値をつくり量的にのみはかられる労働は、work にたいして labour と呼ばれる。英訳版、一四ページ[1九七七年モスクワ版、五四ページ〕の注を見よ。|F・エンゲルス}


第三節 価値形態または交換価値

商品は、使用価値または商品体の形態で、鉄、リンネル、小麦などとして、この世に生まれてくる。


これが商品のありふれた自然形態である。とはいえ、商品が商品であるのは、それが二重のものであり、使用対象であると同時に価値の担い手であるからにほかならない。だから、商品は、自然形態と価値形態という二重形態をもつ限りでのみ、商品として現われ、言い換えれば、商品という形態をとるのである。


商品の価値対象性は、どうつかまえたらいいかわからないことによって、寡婦のクイックリーと区別される。商品体の感性的にがさがさした対象性とは正反対に、商品の価値対象性には、一原子の自然素材もはいり込まない。


だから、一つ一つの商品を好きなだけひねくり回しても、それは、価値物としては、依然としてつかまえようがないものである。


とはいえ、商品が価値対象性をもつのは、ただ、それが人間的労働という同じ社会的単位の表現である限りにほかならないこと、それゆえ、商品の価値対象性は純粋に社会的なものであること、を思い出せば、それがただ商品と商品との社会的関係においてのみ現われうるということも、おのずから明らかである。


実際、われわれは、諸商品の交換価値または交換関係から出発して、そこに隠されている諸商品の価値の足跡をさぐりあてた。いまや、われわれは、価値のこの現象形態に立ち返らなければならない。


*1 [シェイクスピア『ヘンリー四世』、第一部、第三幕、第三場での フォルスターフのせりふ参照。小田島訳、『シェイクスピア全集』V、白水社、六二ページ。中野訳、岩波文庫、第一部、一二五ページ]


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