第40回 資本論 カール・マルクス 新日本 第1篇商品と貨幣 第1章 商品 第2節商品に表れる労働の2重性70ページから
76ページ
この還元が絶えず行なわれていることは、経験が示している。ある商品はもっとも複雑な労働の生産物であるかもしれないが、その価値は、その商品を単純労働の生産物に等置するのであり、したがって、それ自身、一定分量の単純労働を表わすにすぎない。
さまざまな種類の労働がその度量単位である単純労働に還元されるさまざまな比率は、生産者たちの背後で一つの社会的過程によって確定され、したがって生産者たちにとっては慣習によって与えられるかのように見える。
簡単にするために、以下ではどんな種類の労働力をも直接に単純な労働力とみなすが、それは、還元の労をはぶくためにほかならない。
(14) ヘーゲル『法の哲学』、ベルリン、一八四〇年、二五Oページ、第一九〇節〔藤野渉・赤沢正敏訳、『世界の名著』的、中央公論社、四二三ー四二四ページ]、参照。
(15) 読者が注意しなければならないのは、ここでは、労働者がたとえば一労働日[一日の労働時間】について受け取る賃銀または価値のことを言っているのではなく、彼の一労働日が対象化されている商品価値のことを言っているということである。労賃というカテゴリーは、われわれの叙述のこの段階ではまだまったく存在しない。
* 「初版、フランス語版では「人間的労働力」となっている]
したがって、価値である上着およびリンネルにおいては、それらの使用価値の区別が捨象されているように、これらの価値に表わされている労働においては、裁縫労働および織布労働というそれらの有用的形態の区別が捨象されている。
使用価値である上着およびリンネルが目的を規定された生産的活動と布および糸との結合したものであり、これにたいして価値である上着およびリンネルは単なる同種の労働凝固体であるように、これらの価値に含まれている労働は、布および糸にたいするその生産的なふるまいによってではなく、ただ人間的労働力の支出としてのみ通用する。
裁縫労働と織布労働とが使用価値である上着およびリンネルの形成要素であるのは、まさにこれらの労働の異なる質によってである。裁縫労働と織布労働とが上着価値およびリンネル価値の実体であるのは、ただ、これらの労働の特殊な質が捨象され、両方の労働が等しい質、人間的労働という質をもっている限りでのことである。
だが、上着もリンネルも単に価値一般ではなく、一定の大きさをもつ価値であり、われわれの想定では、一着の上着は10エレのリンネルの二倍の価値がある。これらの価値の大きさのこの相違はどこから生じるのか? それは、リンネルが上着の半分の労働しか含んでおらずしたがって、上着を生産するにはリンネルを生産する時間の二倍にわたって労働力が支出されなければならない、ということから生じる。
したがって、商品に含まれている労働は、使用価値との関連ではただ質的にのみ意義をもつとすれ
ば、価値の大きさとの関連では、それがもはやそれ以上の質をもたない人間的労働に還元されている
ので、ただ量的にのみ意義をもつ。まえの場合には、労働のどのようにしてと、なにをするかが問題となり、あとの場合には、労働のどれだけ多くが、すなわちその継続時間が問題となる。
一商品の価値の大きさは、その商品に含まれている労働の分量だけを表わすから、諸商品は、一定の比率においては、常に等しい大きさ価値でなければならない。
0 件のコメント:
コメントを投稿