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2021年5月19日水曜日

第16回『資本論』の 学習 マルクス『資本論 』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店 「第2版へのあとがき」 9ページ4行目から

 第16回『資本論』の 学習 マルクス『資本論 』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店

「第2版へのあとがき」 9ページ4行目から


 ※第3版・第4版では希望のない(hoftnun gsloe)となっている。ディー晩版編集者

  1848年以来、資本主義的生産が急速にドイツで発展した。そして今日では既に山師活動も大いに行われている。しかしながら、我が国の専門学者に向かっては、運命は、まだいい顔をしていない 彼らが経済学を、平らな気持ちで研究しえ時期には、近代的経済関係はドイツの現実にはなかった。これらの関係が成立した時にはもはやブルジョア的な視野の中で、とらわれずに研究することを許されない事情になっていた。

 経済学がブルジョワ的である限り、すなわち、資本主義的秩序が歴史的に経過的な発展段階としてでなく、逆に社会的生産の絶対的な最後の形成物として理解される限り、経済学は、階級闘争がまだ潜在的である間だけ、またはただ個々の現象に現れている間だけ、科学イギリスを例にとろう。その古典的経済学は、階級闘争未発達の時期にあたっている。その最後の偉大な代表者であるリチャードは、 次に意識して階級利害の対立を、その後労働賃金と利潤、利潤と地代との対立を素朴に社会的自然法則と考えて、彼の研究の跳躍点にしている。しかしながら、これとともに、ブルジョア的経済学も、その声が大限界に到達したのであった。またリカードが生きていた間に、そして彼と対立して、この科学にシスモンディなる人間となって批判が立ち向かって来た。(2)

(1)拙著『経済学批判』39ページ参照〔邦訳 、武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・ 加藤俊彦訳『経済学批判』岩波文庫版 70ページ以下。新潮社版『パルクス・エンジェルス選集』第7巻 、87ページ)。

 1820ー30年というこれに続く時代は、イギリスでは経済学の領域における科学的活動で目立っている。この期間は、リカードの理論の俗流化と普及の時期であり、またその旧い学派との闘争の時期でもある。こうして華やかな槍試合が催された。当時成し遂げられたことは、ヨーロッパ大陸にはあまり知られていない。というのは論戦は、大部分雑誌論文や随時の刊行物や小冊子に散在しているからである。 この論戦のとらわれない性格ーリカードの理論は例外的にはすでにブルジョア経済に対する攻撃武器として用いられてはいるがー時代相を見れば分かる。一方において大工業自身は、 そのように家から出て来たばかりの時で、このことは、すでに大工業が1825年の恐慌とともに、初めてその近代生活の周期的循環を開始していることによって証明される。他方に置いて、資本と労働との間の階級闘争は、まだ背後に隠れていた。それは、政治的には、神聖同盟をめぐって集。 諸政府及び封建貴族に対する、ブルジョワジーの率いる国民大衆の争闘のためであったし、経済的には、貴族的な土地所有に対する産業資本の争いのためであった。この争いは、フランスでは細分地所有と大土地所有との対立の無性に隠れていたし、イギリスでは穀物条例由来公然と爆発していた。イギリスにおける経済学の文献は、この時期ではドクトル・ケネー 死後 のフランスにおける経済的狂風怒涛の時期を思い起こさせる。だが、ただ小春日和が春を思わせるようなものであるに過ぎない。1830年とともに、 一気に事を決するような危機が始まった。ブルジョア階級はフランスとイギリスでは政治的権力を掌握していた。この時以降、階級闘争は、実際的にも論理的にも、次第に明瞭な差し迫った形態をとるようになった。階級闘争は科学的なブルジョア経済学の上昇弔鐘を打ち鳴らした。(10ページ16行目)

                                                      


「D・リカード」(David Ricard 1772-1823 ) 「経済学のすすめ」235ページ 「経済学を築いた人々 で案内されていますので、見てみましょう。

〔 学問上の位置〕イギリスの古典派経済学の完成者、スミスが産業革命前夜の経済学者であるとすれば、リカードは産業革命が展開し、やがて最終段階に入らんとする時の経済学者である。ナポレオン戦争が終わり、1815年過渡的恐慌がイギリスを襲う。この恐慌の原因、さらにそれに基づく労働者の貧困ーそれを彼の論敵マルサスは、シフォンの過度な蓄積に基づく有効需要の不足に求め、その対策として、地主階級、不生産的階級の有効需要の確保ーつまり、穀物関税を引き下げ安い海外の穀物の流入を阻止することを主張する。事実、穀物法は、ナポレオン戦争終了に伴う安価な外国穀物の流入を阻止する目的で、1815年に成立する。これに対してリカードは 、この強行を生産部門間の不均衡から生じた一時的部分的なものとみなす。ナポレオン戦争家に海外から穀物流入が減少し、 そのため工作限界が劣悪地主まで広がり、穀物価格が高騰したという歪みは、清算されればならない。穀物法が取り除かれやすい穀物の海外からの流入が見られれば、賃金水準は下がり、同時に自由な貿易体制による市場の拡大に支えられ、産業資本の発展を促進するとかれでは考える。 

 こうした地主大産業資本の対立の中で、リカードは後者の立場に立ち、それを経済学の原理の確立という形をとって展開して行て。つまりスミスの価値論を投下労働価値説に純化することによって、商品の価値総額をこれで抑え、その階級館への分配を支配する法則として、彼自身の地代論と何的マルサスから借りた人口論を結合し、資本蓄積に伴う結果が、 労働者の賃金は最低生活水準に止まり、利潤率は傾向的に下落し、ただ働かずして喰らう地主階級の所得=地代のみが増大することを論証する。こうした論争の中に価値論のぜ前進、地代論の生誕、経済学の理論的基礎を確立していったのはリカードの功績である。彼は資本主義が確立し、その病が明確な形を取り出す時期を見ずに死んだ。

 彼が死んで2年の後に 本格的な資本主義的恐慌が訪れるのである(1825年)その意味で彼の資本主義の否定的な面を知らずして死んだ幸いな人であると同時に、それゆえに物理論上の欠点が、後の問題として、ミルを通じて、近大アカデミック経済会、そしてより多くはリカード派社会主義者を通じてマルクスへ引き継がれて行くのである。


〔 生涯〕証券取引業者の子として生まれ、若くして独立して成功し、その後は半ば実業から手を引き、学問研究に時間を割いた。経済問題への登場は、地金論争(1809ー12)であり、ついでに穀物条例論争(1813ー15)であり、数字的にはペンタム、ジェームス・ミルとともにブルジョワ・ラディカリスト として活躍し、1819年下院議員となり、 議会制度の改革と穀物法の撤廃に努力した。


〔主著〕『経済学原理』On the principles of.political Economy and Taxation, 1817, 3ed 1821(小泉信三訳、岩波文庫、羽鳥卓也、吉沢 芳樹訳、河出書房)。全集としてThe Work and Correspondence of D. Ricardo , ed. by P.Sraffa Vol 10, 1951-5.


デヴィッド・リカード

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古典派経済学

デヴィッド・リカード

生誕

1772年4月19日[要出典]

死没

1823年9月11日(51歳没)

実績

比較生産費説を主張し、労働価値説の立場に立つ。自由貿易を擁護

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デヴィッド・リカード: David Ricardo、1772年4月18日[要出典] - 1823年9月11日)は、自由貿易を擁護する理論を唱えたイギリス経済学者。各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出することで経済厚生は高まる、とする「比較生産費説」を主張した。スミスマルクスケインズと並ぶ経済学の黎明期の重要人物とされるが、その中でもリカードは特に「近代経済学の創始者」として評価されている[1]

目次

生涯[編集]

Works, 1852

リカードは17人兄弟の3番目としてロンドンで生まれた。彼の家はスペイン系およびポルトガル系のユダヤ人で、彼が生まれるほんの少し前に、オランダからイギリスへ移住して来た。14歳のとき、リカードはロンドン証券取引所で父親エイブラハム・リカードの仕事に加わった。21歳のとき、リカードは家族の正統派ユダヤ教の信仰を拒絶し、クエーカー教徒のプリシラ・アン・ウィルキンソンと駆け落ちする。これによって父親から勘当されることになり、ケンブリッジ大学を中退して、自ら株式仲買人として独立することになった。その後リカードはユニテリアン派の教徒となっている。

リカードの証券取引所での成功は彼を裕福にし、42歳となった1814年に仕事を引退。グロスター州ギャトコム・パーク英語版に邸宅を購入し、生涯の住処とした。1819年にはアイルランドの都市選挙区であるポーターリングトンから庶民院(下院)に出馬、当選して代議士として自由貿易を主張し、また、穀物法の廃止を主張した。1821年にはトーマス・トゥックジェームズ・ミルトマス・ロバート・マルサスジェレミ・ベンサムなど著名な経済学者とともに、政治経済クラブ英語版の設立に尽力した。

1823年、耳の伝染病のため51歳で急逝、遺産として7500万ポンド(約150億円)を残した[2]

リカードは、ジェームズ・ミルの親友であり、ミルは彼に政治への大志や経済学の著述を勧めた。他の著名な友人の中にマルサスやベンサムがいる。死の10日前、論敵でもあったマルサスに対して手紙で「議論が私たちの友情を決して傷つけなかった。君が私の説に賛成してくれたとしても、そのことで今以上にあなたを好きになることはありません」と記している[3]

思想[編集]

リカードは、1799年アダム・スミスの『国富論』を読み、経済学に興味を持つようになった。その少し前の1797年イングランド銀行金本位制を停止し不換紙幣の増発からインフレーションを招来することになったが、これについて1810年にリカードは『白石高騰について--紙幣暴落の証明』[4]という小論を発表、貨幣数量説に立って金本位制への復帰を主張した。

リカードは、『経済学および課税の原理』の第7章で比較優位理論による自由貿易の利益を論証した[5]。また、リカードは『経済学および課税の原理』の第3版の第31章「機械について」で、固定資本(機械)が導入されることによって労働者が失業する可能性はあるかという問題を取り上げた[5]。リカードは、『経済学および課税の原理』の第2版まで、機械の導入による失業の可能性はなく、機械の導入は労働者にとって利益になると考えていたが、1821年に刊行した『経済学および課税の原理』の第3版では、短期的には失業の可能性を認めている[5]

リカードで特に有名なのが、穀物法をめぐるマルサスとの論争から生まれた自由貿易の主張と地代論であり、自由貿易による利潤蓄積の増大→国富の増進と労働価値説に拠った収穫逓減による結果としての地代の形成を『経済学および課税の原理』で主張した。ただ、論争する点が多かったマルサスの主張についても、彼が『人口論』で言及した人口に対する見解については同意し、『経済学および課税の原理』の議論で前提としている。

詳細は「経済学および課税の原理」を参照

リカードに関連した他の思想[編集]

評価[編集]

日本を代表する経済学者である森嶋通夫は経済学史における「特別な巨人」としてアダム・スミス、リカード、カール・マルクスケインズの四人を挙げているが、特にリカードを「近代経済学の父」として評価している[1]

リカードの学説はマルクスとワルラスによって後世の経済学に影響を与えている。リカードの労働価値説はマルクスの経済学の中心的枠組みになっており、ヒルファディングローザ・ルクセンブルクなどのマルクス主義者によって発展させられた[7]。また、リカードの差額地代論は希少性理論としてワルラスによって発展させられ、後の新古典派経済学に貢献した[7]

著作[編集]

  • 『The High Price of Bullion, a Proof of the Depreciation of Bank Notes』(1810年)、金属通貨の採用を提唱した。

  • 『Essay on the Influence of a Low Price of Corn on the Profits of Stock』(1815年)、穀物法の廃止が、社会の生産的構成員に、より多くの富を分配するだろうと主張した。

    • 農業保護政策批判 地代論 大川一司訳 岩波文庫、1948年

    • 農業経済論集 服部一馬訳 春秋社 1950

  • 『Principles of Political Economy and Taxation』(1817年、『経済学および課税の原理』)、地代が人口増加につれて成長すると結論付けた分析。また、ある国がすべての財の生産においてその貿易相手国ほど効率的でなかったとしても、すべての国が自由貿易から利益を得ることができる、ということを示す「比較生産費説」を明確に展開した。

  • マルサスへの手紙 中野正訳 岩波文庫、1949年

  • リカアドオのマカロックへの手紙 中野正訳 岩波文庫、1949年

  • リカアドオのトラワアへの手紙 ジェイムズ・ボナア、ジェイコブ・H.ホランダア編 中野正訳 岩波文庫、1955年

  • デイヴィド・リカードウ全集 全11巻 雄松堂書店 1971 - 1999年

第1巻 経済学および課税の原理 堀経夫

第2巻 マルサス経済学原理評注 鈴木鴻一郎

脚注[編集]

  • ^ a b 森嶋 1994, p. 3.

  • ^ 中矢俊博 『やさしい経済学史』 日本経済評論社、2012年、30頁。

  • ^ 日本経済新聞社編 『経済学をつくった巨人たち-先駆者の理論・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、52頁。

  • ^ : The High Price of Bullion, a Proof of the Depreciation of Bank Notes

  • ^ a b c 経済学史の窓から 第8回 リカードウは技術的失業の予言者か? 書斎の窓

  • ^ 日本経済新聞社編著 『経済学をつくった巨人たち-先駆者の理論・時代・思想』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、51頁。

  • ^ a b 森嶋 1994, p. 4.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]



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