2021年5月16日 日曜日 雨
第14回『資本論』 の学習 マルクス『資本論』第一巻 向坂逸郎訳 岩波書店 第1版の序文 5ページ10行目から
起こりうる誤解を避けるために一言しておく。私は、資本家や土地所有者の姿を決してバラ色の光で描いていない。しかしながら、ここでは、個人は、経済的範疇の人格化であり、一定の階級関係と階級利害のに担い手である限りにおいてのみ、問題となるのである。私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって、決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするものではない。個人は、 主観的にはどんなに諸関係を超越していると考えていても、社会的にはひっきょうその造出物に他ならないものであるからである。
経済学の領域においては自由なる科学的研究は、他のすべての領域におけると同様の敵に遭遇するだけではない。経済学の取り扱う素材の特有の性質は、最も激しい最も狭量なそして最も憎悪に満ちた人間胸奥激情である 。私利 という復讐の女神を挑発する。例えば、高教会派は、39個信条のうち38に対する攻撃には我慢できるが、その貨幣収入の1/39に対するそれには我慢できない。今日では、無神論は、受付つがれた所有関係の批判と比較すれば、ひとつのculpa levie (軽い罪)であると言って良い。だが、ここに進歩は見粉うべくもない。例えば最近数週間に発売された青書『帝国海外派遣通信、産業問題及び労働組合について』の参照を乞いたい。イギリス国王の海外代表者たちは、ここで露骨な言葉でこう述べている。すなわち、ドイツ、フランス要するにヨーロッパ大陸の全文化諸国において、資本と労働の現在の諸関係の変化が、イギリスと同じように切実となり、同じように不可避となっていると。同時に大西洋の彼方では、北アメリカ合衆国の副大統領ウェード氏は、いくつかの公開を会合で、奴隷制撤廃の後には、資本諸関係と土地所有諸関係の変化が日程に登ってきた!と述べている。紫の衣や 黒い僧衣で隠しおおせないということ、これは時代の兆候である。この兆候は明日にでも奇跡が起こるだろうということを意味してはいない。それは、支配階級のうちにおいてすら、現在の社会が硬い結晶体でなく、変化し得るもので、不断 の変転の過程をたどっている有機体であるということが、他に感じられ始めているのを示すものである。
本書の第2巻は、資本の流通過程(第2冊)を、債務の第3巻(第4冊)は理論の歴史を取り扱うことになっている。
私は科学的な批判ならどんな批評でも歓迎する。いわゆる世論になるものには少しも譲歩しなかったのであるが、その偏見に対しては、依然として偉大なフイレンツェ人の格言が私のそれである 。
Segui il tuo corso, e lascia dir le genti! ( 汝の道を行け、そして人々の語るに任せよ!)
ロンドンにて
1867年7月25日
カール・マルクス
最後にある言葉はダンテが関係しているそうです。それでは、ダンテに関係することを調べてみます。他の著書の学習は次回行うことにします。
ダンテ・アリギエーリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダンテ・アリギエーリ(イタリア語:Dante Alighieri、1265年 - 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。
ダンテの代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩『神曲(La Divina Commedia)』であり、他に詩文集『新生(La Vita Nuova)』がある。イタリア文学最大の詩人で[1][2]、大きな影響を与えたとされるルネサンス文化の先駆者と位置付けられている[1]。
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