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2021年11月26日金曜日

第54回マルクス 資本論 第1巻 向坂逸郎訳 岩波書店の学習 80ページ

 第54回マルクス 資本論 第1巻 向坂逸郎訳 岩波書店の学習 80ページ

二 相対的価値形態

a 相対的価値形態の内実 

b 相対的価値形態の量的規定性

三 等価形態

四 単純な価値形態の総体



でいえば、ある商品の価値は、「交換価値」として現示されることによって、独立的に表現されている。この章のはじめに、普通に行なわれているようにべ商品は使用価値であり、また交換価値であるといったのであるが、このことは、正確にいえば誤りであった。


商品は使用価値または使用対象であり、また「価値」である。商品は、その価値が、そ

での自然形態とちがった独自の現象形態、すなわち交換価値という現象形態をとるととめに、ただちに本来の性質であるこのような二重性として示される。


そして商品は、この形態を、決して孤立して考察するばあいにやっているのでなく、つねに第二の異種の商品にたいする価値関係、または交換関係においてのみ、もっているのである。


だが、このことを知ってさえいれば、先の言い方は無害であって、簡略にするに役立つのである。われわれの分析の証明するところによれば、商品の価値形態、またはその価値表現は、商品価値の本性から出てくるので、逆に価値や価値の大いさが、交換価値としてのその表現様式から出てくるものではない。


だが、このことは、重商学派とフェリエやガニール等のような、その近代の蒸し返し屋たちの妄想であるととめに、またその対立者であるバスティアとその一派のような、近代自由貿易の外交員たちのそれでもある。


重商学派は重点を、価値表現の質的側面に、したがって、貨幣として完成された姿になる商品の等価形態に置いている―これに反して、近代自由貿易外交員たちは、その商品を、どんなにして売り払わなければならないので、重点を相対的価値形態の量的側面においている。


したがって、彼らにとっては商品の価値も価値の大いさも、交換関係を通した表現以外には存しないし、したがってただその日その日の時価表の中だけに存するのである。


スコットランド人のマクラウドは、ロンバート・ストリートのもうろうたる観念を、できるだけ博学にめかし立てることを仕事にしているが、迷信的な重商学派と啓蒙された自由貿易外交員との間をうまくまとめている。


(二二) 第二版への注。F・L・A・フェリエ(副関税検察官)、『商業にたいする関係から見た政府の考察』パリ、一八〇五年、およびシャルル・ガニイ『経済学体系』第二版、パリ、一八二一年。商品Bにたいする価値関係に含まれている商品Aの価値表現を、くわしく考察すると、その内部において、商品Aの自然形態は、ただ使用価値の姿としてのみ、商品Bの自然形態は、ただ価値形態また価値の姿としてのみはたらいていることが明らかになった。


それゆえに、商品の中に包みこまれている使用価値と価値の内的対立は、1つの外的対立によって、すなわち、1つの商品の関係によって示されている。この関係において、価値が表現さるべき一方の商品は、直接にただ使用価値としてのみ、これにたいして身をおって価値を表現する他方の商品は、直接にただ交換価値としてのみ、働いている。


それゆえに、ある商品の単純な価値形態は、その商品に含まれている使用価値と価値との対立の単純な現象形態である。


労働生産物は、どんな社会状態においてち使用対象である。しかし、ただある歴史的に規定された発展段階のみが、一つの使用物の生産に支出された労働を、そのおのの「対象的」属性として、すなわち、その価値として表わすのであって、この発展段階が、労働生産物を商品に転化するのである。


したがって、このことから、商品の単純なる価値形態は、同時に労働生産物の単純なる商品形態であり、したがってまた、商品形態の発展や価値形態の発展と一致するという結果になる。


一見すれば、すぐ単純な価値形態の不充分さがわかる。この形態は、一連の変態をへて、やっと価格形態に成熟してくる萌芽形態なのである。


なんらかの一商品Bにおける表現は、商品Aの価値を、ただそれ自身の使用価値から区別するのみであって、したがって、この商品を、ただそれ自身とちがった個々の商品種の何かにたいする交換関係に置くのみであって、他の一切の商品との質的等一性と量的比率とを示すものではないのである。

ある商品の単純なる相対的価値形態には、1商品個々の商品の等価形態が対応している。 

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