第52回マルクス 資本論 第1巻 向坂逸郎訳 岩波書店の学習 76ページ
A単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
二相対的価値形態
a相対的価値形態の内実
b相対的価値形態の量的規定性
三 等価形態
たとば上衣が、あるがままのものとして価値を表現し、したがって、自然のままのものとして、価値形態をもっているということの中にあるのである。
このことは、もちろんただ亜麻布商品が、等価としての上衣商品にたいして関係させられ
た価値関係の内部においてだけ、妥当することなのである。
しかし、一物の属性は、他物に対するその関係から発生するのではなくて、むしろこのような関係においてただ実証されるだけのものであるから、上衣らその等価形態を、すなわち、直接的な交換可能性というその属性を、同じように天然にもっているかのように、それはちょうど、重いとか温いとかいう属性と同じもののように見える。
このことから等価形態の謎が生まれるのであって、それは、この形態が完成した形で貨幣となって、経済学者に相対するようになると、はじめてブルジョア的に粗雑な彼の目を驚か
すようになる。
そうなると彼は、金や銀の神秘的な性格を明らかにしようとして、これらのものを光り輝くことのもつとも少ない商品にすっかえて、いつもたのしげに、すべて下賤な商品で、その時々に商品等価の役割を演じたものの目録を、述べ立てるのである。
彼は、亜麻布 20 エレ =上衣1着 というようになもっとも簡単な価値表現が、すでに等価形態の謎を解くように与えられていることを、想像してみないのである。
(二一)
このような反省規定は、総じて奇妙なところがあるものである。この人間が、例えば王であるのは ただ他の人にたいして臣下として相対するからである。彼らは、逆に彼が王だから、自分たちが臣下でなければならぬと信じている。
等価のつとめをしている商品の物体は、つねに抽象的に人間的な労働の体現として働いており、しかもつねに一定の有用な具体的労働の生産物である。
したがって、この具体的労働は、抽象的に人間的な労働の表現となる。例えば、上衣が、抽象的に人間的な労働の単なる実現となっているとすれば、実際に上衣に実現されている裁縫が、抽象的に人間的な労働の単なる実現形態として働いているわけになる。
亜麻布の価値表現においては、裁縫の有用性は、裁縫が衣服をつくり、したがってまた人をめつくる「ドイツには「着物は人をつくる」という諺がある。……訳者]ということにあるのでなく、次のような一つの物体をつくるところにあるのである。
すなわちこの物体に対して、人は、それが価値であるという風に、したがって、亜麻布価値に対象化されている労働から少し区別されない、
労働の凝結物であるというように、みなしてしまうのである。このような一つの価値鏡を作るために、裁縫自身は、人間労働であるというその抽象的な属性以外には、何るのを反映してはならない。
裁縫の形態でも、機織の形態でも、人間労働力は支出されるのである。したがって、両者は、人間労働の一般的な属性をもっている。
そしてこのために一定のばあいには、例えば、価値生産においては、ただこの観点からだけ考察すればいいのである。
すべてこれらのことは、神秘的なことではない。しかし、商品の価値表現においては、事柄は、歪められる。
例えば、機織が機織としての具体的な形態においてではなく、人間労働としてのその一般的な属性において、亜麻布価値を形成するということを表現するために、機織にたいして、裁縫が、すなわち、亜麻布等価物を作り出す具体的労働が、抽象的に人間的な労働のみうべき実現形態として、対置されるのである。
それゆえに、具体的労働がその反対物、すなわち、抽象的に人間的な労働の現象形態となるということは、等価形態の第二の特性である。
しかしながら、この具体的労働、すなわち裁縫は、無差別な人間労働の単なる表現として働くことによって、他の 労働、すなわち、亜麻布にひそんでいる労働と等一性の形態をもちしたがって、他の一切の商品生産労働と同じように私的労働ではあるが、しかし直接に社会的な形態における労働である。
まさにこのために、この労働は、直接に他の商品と交換しうる一つの生産物に表わされている。
このように、私的労働がその反対物の形態、すなわち、直接に社会的な形態における労働となるということは、等価形態の第三の特性である。
最後に述べた等価形態の二つの特性は、価値形態、ならびにきわめて多くの思惟形態、社会形態および自然形態を、最初に分析した偉大なる探究者に遡って見る時、最も分かりやすくなる。78ページ1行目
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