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2021年11月18日木曜日

第48回 マルクス 資本論 第1巻 向坂逸郎訳  岩波書店の学習 68ページ A単純な、個別的な、または偶然的な価値形態 二相対的価値形態 a相対的価値形態の内実  b相対的価値形態の量的規定性

 第48回 マルクス 資本論 第1巻 向坂逸郎訳 

岩波書店の学習 68ページ

A単純な、個別的な、または偶然的な価値形態

二相対的価値形態

a相対的価値形態の内実 

b相対的価値形態の量的規定性


 日本の政治状況を簡単に、衆議院議員選挙が10月31日投開票で行われました。組閣も終わり、岸田政権が始動しています。「新しい異本主義」を政策の柱とすることになりました。分配を是正して、中間層増やすようです。

 安倍政権は格差を拡大して、貧困を深刻化してしまいました。どのように方向転換するのか見てみたいと思います。

 とりあえずは、『賃金を上げる」政策で・『賃上げ企業には税制で優遇する」ということです。介護・医療者の賃金是正も言われていて。年間1%以上は賃上げしたいようです。どのような結果がでるのかとても楽しみです。



68ページ

上衣の生産においては、事実上裁縫の形態で人間労働力が支出された。したがって、人間労働は上衣の中に堆積されている。


この側面から見れば、上衣は「価値の保持者」である。もちろん、この上衣の属性そのものは、どんなに糸目がすいていても、のぞいて見えるわけではないが。


そして亜麻布の価値関係においては、上衣はただこの側面からのみ、したがって、体現された価値としてのみ、価値体としてのみ取り上げられている。


上衣がどんなにすまし顔で現われて、亜麻布は、彼の中に血のつながりのある美わしい価値ごころを認めている。だが、上衣は彼女にたいして、同時に価値が彼女のために上衣の形態をとることなくしては、価値を表わすことはできないのである。


こうして、個人Aは個人Bに対して、Aにとって、陛下が同時にBの肉体の姿をとり、したってなお容貌や毛髪やその他多くのものが、その都度の国君ととめに変わるということなくしては、陛下として相対するわけにはいかない。


上衣が亜麻布の等価をなす価値関係においては、このように、上衣形態は、価値形態とされる。亜麻布なる商品の価値は、したがって、上衣なる商品の肉体で表現される。


一商品の価値は他の商品の使用価値で表現されるのである。使用価値としては、亜麻布は上衣とは感覚的にちがった物である。


価値としては、それは「上衣に等しいあの」であって、したがって、上衣に見えるのである。このようにして、亜麻布は、その自然形態とはちがった価値形態を得る。


その価値たることが、上衣との同一性に現われること、ちょうどキリスト者の羊的性質が、その神の仔羊との同一性に現われるようなものである。


商品価値の分析が以前に告げたような一切のことを、亜麻布は他の商品、上衣と交わるようになるやいなや、自身で、申し述べることがわかる。


ただ、亜麻布は、その思いを自分だに通ずる言葉、すなわち商品の言葉でもらすだけである。


人間労働の抽象的な属性で労働が亜麻布自身の価値を形成することをいうために、亜麻布は、上衣が、亜麻布に等しいとされ、したがって価値であるかぎりにおいて、亜麻布と同一の労働から成っているという風に言うのである。


亜麻布の森厳なる価値対象性が、そのゴワゴワした布の肉体とちがっているというために、亜麻布は、価値が上衣に見え、したがって、亜麻布自身が価値物としては、卵が他の卵に等しいと同じように、上衣に等しいという風に言うのである。


ついでに述べておくと、商品の言葉め、ヘブライ語のほかに、なお多くの多少正確さのちがったいろいろの方言をやっている。ドイツ語の Wertsein“「価値あり」という言葉は、例えば、口!マン語の動詞 valere,valer, valoir上から順次にイタリア語、スペイン語、フランス語。……訳者]ほどにはっきりと、商品Bを商品Aと等置することが、商品A自身の価値表現であるということを表現しない。


パリは確かにミサに値する!(Paris vaut bien une messe !)[アンリ四世はパリを支配下において王位につくために、新教から旧教に改宗した。


そのとき右の言葉を発したといわれている。……訳者]。したがって、価値関係を通して、商品Bの自然形態は、商品Aの価値形態となる。


あるいは商品Bの肉体は、商品(一八)Aの価値かがみとなる。


商品Aが商品Bを価値体として、すなわち、人間労働の体化物として、これに関係すること

により、商品Aは、使用価値Bを、それ自身の価値表現の材料とするのである。


商品Aの価値は、このように商品Bの使用価値に表現されて、相対的価値の形態を得るのである。

(一八) このことは、商品と同じようにいくらか人間に色あてはまる。人間は、鏡をぬって生まれてくるものでも、フィヒテ流の哲学者として、我は我であるといって生まれてくるものでもないのであるから、まず他の人間の中に、自分を照らし出すのである。


ペーテルという人間は、パウルという人間にたいして、自身に等しいものとして相関係することによって、初めて、自分自身に人間として相関係する。


しかしながら、このようにしてペーテルにとっては、パゥルなるおのの全身が、そのパウ

ル的肉体性のままで、人間という種の現象形態と考えられるのである。


b 相対的価値形態の量的規定性

価値の表現せらるべきあらゆる商品は、一五シェッフェルの小麦、一〇〇封度のコーヒー等というように、一定量の使用対策である。



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