第55回マルクス 資本論 第1巻 向坂逸郎訳 岩波書店の学習 82ページ
b 相対的価値形態の量的規定性
三 等価形態
四 単純な価値形態の総体
B 総体的または拡大せる価値形態
1 拡大された相対的価値形態
一商品の個々の等価形態が対応している。だから、上衣は亜麻布の相対的価値表現においては、この個々の商品種たる亜麻布と関連して、等価形態、または直接的交換可能性の形態を有するのみである。
だが、個々の価値形態はおのずから、より完全な形態に移行する。この単純な形態によっては、一商品Aの価値は、ただ一つの他の種の商品に表現されるのではあるが、この第二の商品が、どんな種類の色のか、上衣か、鉄か、小麦その他の何か、というようなことは、全くどうでよいのである。
したがって、この商品がある商品種と価値関係にはいるか、それとら他の商品種と価値関係にはいるかによって、それぞれ同一商品のちがった単純な価値表現が成立する。
それらの可能な価値表現の数は、ただそれぞれちがった商品種の数によって制限されるのみである。
したがって、その商品の個別的な価値表現は、そのそれぞれちがった単純な価値表現の、いくらでも延長されうる列に転化されるのである。
(二二a) 第二版への注。例えば、ホメロスにあっては、一物の価値は、それぞれちがった物の列として表現されている。
B 総体的または拡大せる価値形態
z量商品A=u量商品B または =v量商品C または =w量商品D または =x量商品 E または =その他(亜麻布 20 エレ=上衣1着 または =茶 10 封度 または =コーヒ 40 封度 または =小麦1クォーター または=金2オンス または =鉄 1/2 トン または =その他)
1 拡大された相対的価値形態
一商品、例えば、亜麻布の価値は、いまでは商品世界の無数の他の成素に表現される。すべての他の商品体は亜麻布価値の反射鏡となる。
こうしてこの価値自身は、はじめて真実に無差別な人間労働の凝結物として現われる。
なぜかというに、価値を形成する労働は、いまや明瞭に、一切の他の人間労働がそれに等しいと置かれる労働として、表わされており、その労働がどんな自然形態をやっていようと、したがって、それが上衣に対象化せられようと、小麦や鉄または金等々に対象化せられようと、これを問わないからである。
したがって、いまや亜麻布は、その価値形態によって、もはやただ一つの個々の他の商品種と社会関係にあるだけでなく、商品世界と社会関係に立っているのである。
それは、商品としてこの世界の市民なのである。同時に、この市民たる表現の無限の序列の中にあるから、商品価値は、使用価値が、どんな形態であろうと、その特別の形態にたいして、無関心であることになるわけである。
(二三) それゆえに、人は亜麻布の価値が上衣で示されるばあいには、亜麻布の上衣価値について語り、これを穀物で示すばあいには、その穀物価値について語ることになる、等々。上衣、穀物等々の使用価値に現われるのが、亜麻布の価値であるということを、すべてこのような表現は言っていることになる。
「あらゆる商品の価値は、〔なんらか他の商品との、……訳者]交換
におけるその比率を示すのであるから、われわれは価値について、その商品が比較される商品にしたがって、それぞれ穀物価値、 布価値. という風に語ることができるわけである。
したがってまた、それぞれちがった数千の価値種があり 商品のあるかぎり、これと同じ数の価値がある そしてすべての価値が、同じように真実であり、また同じように名目的である」(『価値の性質、尺度および原因にかんする批判的一論考、主としてリカード氏とその追随者たちの著作に関連して。
所信の形成と公表にかんする諸論の著者による』ロンドン、一八二五年、三九ページ[鈴木鴻一郎訳『リカアド価値論の批判』日本評論社、世界古典文庫、五四ページ])。S・ベイリーが、当時イギリスで大さわぎをひき起こしたこの匿名の著作の著者であるが、彼は、
このように同一商品価値の相対的表現の乱雑さを指摘することによって、価値の一切の概念規定を破壊したと妄信している。
だが、彼自身の偏狭固際に的かかわらず、リカードの理論の痛い所を探り当てていたということを、リカード学派の彼を攻撃した激昂が証明した。
例えば『ウェストミンスタ ・レヴュー』所載。亜麻布20 エレ =上衣1着という第一の形態においては、これら二つの商品は、一定の容積比率で交換されるということは、偶然の事実であるかもしれない。これに反して第2の形態では直ちに偶然の現象と本質的に区別され、且つこれを規定する背景があらわれている。84ページ2行目
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